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kazのこんなカメラ⑩PENTACON Super


 10回である。

 ネタがなくなったら普通に更新停止しようと思っていたが、予想外にネタが続いた。

 折角の10回目なので少し特別なカメラを紹介したいと思う。

 以前、PRAKTICA IVの紹介でカメラ・ウェルクシュテーテンという会社がプラクチカというカメラを作り、このプラクチカシリーズと一眼Contaxシリーズが採用したのがM42スクリューマウントの発祥である、というところまでは書いた。

 今回はそこから少し未来の話となる。

 ・皇帝、降臨 

 カメラ・ウェルクシュテーテン(以下KW)は一般向けのプラクチカの他に、プロの使用も考えた上位モデル「PRAKTINA」というシステム一眼レフも作っていた。
 しかし、このプラクチナの生産が終了してしまい、プロ用のフラグシップ機を求める要望が多数存在した。
 
 製造元のKWは国家管理の末、東側のツァイスの一眼Contaxの生産ラインを委譲された。
 西側との商標争い上、「Pentacon」と名乗ることとなった一眼Contaxの生産を引き継ぐこととなる。
 そして、KWを初めとした数社が国家主導で合併し、1964年。

 人民公社 ペンタコンなる大グループになった訳だ。

 ペンタコンは先のプラクチナシリーズ絶版に伴う新型のプロ向けのシステム一眼レフとして、試作機のプラクチナNを経て1966年に社名を冠した
「PENTACON Super」というフラグシップ機を発表。

 1960年代の東側が持つ全ての技術が投入された、まさに東側最高の一眼レフだ。

 最速1/2000、クイックリターンミラー、TTL測光、拡張M42で開放測光対応、モータードライブのオプション化などなど。

 仮想敵はコンタレックス・スーパー(西ドイツ)

 ……まあこいつとの比較は色々アレだが後で書く。

 つまりは、東側一眼レフの皇帝として君臨するのに十分な性能を与えられた一眼レフなのである。


 ・皇帝、威風堂々



 そんなこんなでこれがペンタコン・スーパー様である。
 まず目を惹くのはその大きさだ。


 兄貴分のペンタコンシックス(の亜種)と比較しても大きさが対して変わらない

 35mm一眼レフでは最大級なのではないか、と言われることもあるボディサイズだ。

 ファインダー内にはTTL指針と、絞り・シャッタースピードを小窓から読み取り投影されている。
 ピントは割と合わせやすい。

 シャッターはペンタコンお馴染みの前面シャッター。国内メーカーでもペトリなどがこのシャッター位置を採用しているが、実は結構使いやすい。

 フィルムカウンターがボディ前面にあるのはどうにかならなかったのかと思う。
 また、自動復元式のカウンターを採用しているのはいいが、フィルム装填後の空シャッター分が勘定に入っていないため36枚撮りのフィルムを使うと必ず撮り終わりが38~39ぐらい(というか一周して0とか1)になるのはとてもキモチワルイ。
 この辺は東と言ってもドイツっぽくない。
 どちらかというとソ連みたいなポカだ。
(名誉の為に言うが、ソ連製のカメラでも空シャッター分はちゃんと用意されている。ちゃんとカウンタが進まないことがあるだけだ)

 レンズマウントはかなり手が込んでいて、通常のスクリューマウント周囲に板バネが用意されている。



 この板バネを押し込む強さによってTTL露出計に現在の絞り値が伝達されて開放測光を実現している。

 対応レンズの方もすごい。
 通常のM42スクリューの外側に板バネを押し込むための第2のピンが設置されている。


 レンズの絞りを操作することで、この連動ピンの押し込み長が変動。
 露出計に連動する仕組みとなっている。

 普通に考えてすごい精度だ。

 ボディ側・レンズ側共に少しでも工作精度が狂いがあれば露出そのものが僅かにおかしくなる。
 このカメラに関しては内蔵露出計しか使ったことがないが、少なくとも普通に使えるレベルでしっかり動作している。

 こういうところは職人芸だなあ。

 ちなみに、ペンタコン・スーパー以外のボディでも運用出来るように、この絞り伝達ピンは簡単に収納して他ボディに干渉しないように出来る。



至れり尽くせりパラレリピペドゥスだ。

 ※参考:パラレリピペドゥスオオクワガタ(ドイツ産)


 ・皇帝、推参

 このとんでもないカメラ、そもそも先日記したようにM42スクリューマウント機はPENTACONから始めている私からしてみれば垂涎の的。
 最高到達点である。

 しかしこのカメラ、一言で言うと高い

 ライカM3どころか現行のフルサイズデジタル一眼レフと変わらないお値段なのだ。


 何故東側のくせに(失礼)そんなに高額かと言うと、話が少しだけ巻き戻る。

 プロカメラマンの要望で、PRAKTINAシリーズに置き換わるフラグシップ機として開発されたカメラなのだが上記のように当時の東ドイツには精度要求が高すぎた。
 当然コストも跳ね上がり、このカメラの生産台数は約3年強で僅か4500台のみに留まっている。

 また、対応レンズが高い。
 ツァイスイエナのPancolar 55mm F1.4がセットレンズとなるが、これも5000本強しか存在しない。

 ebayより。
「いやこれはちょっと価格盛り過ぎだろー」と思うがこういう世界のレンズではある。


 西側のコンタレックス・スーパーがRX-78ガンダムならば、東側のペンタコン・スーパーはビグ・ザムかジオング。
 そういうカメラなのである。

(ちなみに内部構造そのものは東側としては良いけれど、コンタレックスと比べると滅茶苦茶恥ずかしくなるレベルではある)

 閑話休題。

 ともかくこういうカメラなので、欲しいは欲しいが買う機会がなかった。
 東側なので博打で買うのはキケンな種類だしね。

 ところが、たまたま銀座の中古市で超有名カメラ店さんが、OH済みのペンタコン・スーパーを売っていた。
 お値段:大卒初任給ぐらい。

 先ほど挙げたような世界の価格のカメラなので、あのお店でOHしてもらっていてこの値段なら安いっちゃ安い。
 というか破格だ。


 うーん、だがいい値段がする。
 うーん、でも……
 うーん、だけれども。

 本当に欲しかったカメラなので暫くぐるぐる悩んでいたら、たまたまタイムセールが始まった。
 この日は銀座に着いたのが午後の3時過ぎで、小一時間色々見て回っていたからだ。

 そして出てきた凄いポップ。

ショーケース内全品20%引き


 迷う。悩む。喉が渇く。
 乗るか、反るか、どうするか。

「男の仕事の八割は決断だ。――そこから先はおまけみたいなもんだ」

 私は嗄れた声で腹の底から勇気を絞り出す。

「その、ペンタコンスーパーを、見せてください」


 そして、ボーナスを叩き込んでお迎えしたのがこのカメラ。

PENTACON Superだったのである。

 ・皇帝、その実力

 そして手に入れたまさしく夢の一眼レフ。

 露出計完動。
 全速・セルフ稼働。
 シャッター幕MINT品。

 ただし気分による

 なんといってもレンズが凄い。

 トリウムレンズの為、既に真黄色に変色してしまっているが、アノお店のオーナーも私も全く気にしていなかった。

 「モノクロで使えばイエローフィルターいらねえじゃん」

 前回の記事で、XP2 SUPERの活用に関して記したが、元々はこのPancolarが黄変レンズだったので見つけた方法である。


 この辺の写真は全てPancolarで撮影している。
 中々えげつない写りだ。


 XP2だよ?


 勿論黄変しているレンズなのでカラーでは厳しい。
 カラーは普通に50mmのオレストンと135mmゾナーを使っている。


 オレストンとゾナーを選んだのには理由があり、先述の板バネ部分がマウント周りに配置されているこのカメラでは、ある程度鏡胴の太さがあるレンズを使わないと板バネ部分が剥き出しになってしまう。
 汚れや破損が怖いので何本か試した結果、1968年~1970年代の東独レンズはこの板バネ部分をカバーしていることがわかったからだ。


 ペンタ部に輝くエルネマンタワー。


 誰が何と言おうと、このカメラは東ドイツに輝く一眼レフの皇帝なのだ。




 みんなで歌おう。




kaz

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