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人の心と意思について語るときの自分が語ること

noteを書き始めるとき、自分で自分の語る言葉に興味を持っています。

「今日はどんな言葉と出会うのだろうか?」

どんな言葉で語るかが、どんな自分になりたいかを表しています。もしいま自分が語る言葉にしっくり来ていないなら、何かを見直した方がよいのかもしれません。


他人を通して、自分の過去に出会う

昔やってたひどいこと
隠しておきたいこと
認めたくないこと

過去の自分が置いてきたものを他人の中にみつけてしまい、忘れていたものを思い出してしまうときがあります。それはきっと他人を通して、自分の中の自分に出会っているのだと思うのです。

置いてきたものを忘れたくない無意識
何かを抑圧していることを思い出す
がんばりすぎているのかもしれない

社会原理と生存原理の間に自我が生まれたり、自分と環境の相互作用によって人の心にさまざまな発達がもたらされるように、人間としてものは、常に何かと何かの「間」にいる存在なのだと思います。

自分って、なんだろう

本質的な問いが自分の中に響き、答えがないことを知っているのに「答えらしいもの」を欲しがってしまいます。


普段見ているのは、自分だけの景色

自分がいま見ている世界は、自分のレンズを通して見ている世界に過ぎません。異なるレンズをかければ、異なる色と異なる形で表現されます。

自分が認識できなければ、それは存在していないようなものですが、多彩な認識への憧れが、まだ見ぬ何かへの憧れが、自分の中には常にあります。

人が見ている景色が見たい
異なる色と形を教えてほしい
その差の生まれ方を探究したい

純粋な好奇心と探究心は、自分を動かす原動力になってくれます。


しかしその大きな力が、自分にばかり向いてしまうことがあります。

その先の景色を見ることができるのか
自分はどこまでなら探求できるのか
自分がわからないことは何か

気がつくと自分の足元ばかり気にしてしまい、「視座は低く、視野は狭く、視点はあやふや」になってしまっていることがあります。


近くを見すぎると、不安で先が見えなくなる

河合隼雄さんの「こころの処方箋」という本の中に、灯台の話があります。

目指すべき灯台がいざ近づいてきたとき、同じ灯台をずっと目指し続けていると難破してしまうではないか。

灯台は遠くにあってこそ、行き先を照らしてくれます。近づき過ぎた灯台の光は大きすぎて、目指す人の目をくらませてしまいます。

近すぎる期限で大きすぎる目標を立てると身動きが取れなくなってしまうし、目の前のことばかりしていると未来とのつながりがわからず不安が大きくなります。


進むべき道を照らす、新しい光を見つける

不確実性だらけの未来を切り開くには、常に自分たちが目指すべき灯台の光を見つける必要があります。変化の激しい時代に絶対的な光はなく、あるのはそのときその場所自分たちだから見つけられる相対的な光です。

目指していた灯台が近づいてきたとき、周りの暗闇に目を凝らすと、新しい灯台が見えていくる。

周りの環境が変化をするように、自分たち自身も変化しています。良い変化もあれば望ましくない変化をしてしまっていることもあるでしょう。

変化の荒波に揉まれてしまいそうなときには、いま一度自分の置かれた状況を確認して、暗闇の中から目指すべき灯台を見つけることが大切なのだと感じます。


全員で分かち合い、より遠くに進む

正解がわからない暗闇の中でひとり前に進むことは、想像するだけで苦しすぎる状況です。また新しい灯台の光を見つけたとしても、一人だけではたどり着けないこともあります。

大きな船を動かすには、乗組員が力をあわせて舵を取り、帆を張り、船の姿勢を整える必要があります。同時にいま自分が見えている景色を相手に伝わるように伝えることも求められます。

異なる人たちがまとまって同じことをすることには、いつも難しさが伴いますが、みんなで進むから自分ひとりではいけない場所にたどり着けるのだとも思います。

あなたがいると、僕たちはもっと遠くに行けるんだ。一人で行った方が早いかもしれないけど、より遠くまで行くにはあなたの力が必要なんだ。

だから力を貸してほしい。この短い人生の中で一緒にいられる時間は長くないかもしれないのだけど、それでも同じ夢をみたいんだ。

あなたがいると、僕たちはもっと遠くに行けるんだ。|ひらやま

そして自分が見ている景色を伝えることは、すなわち相手を知ることにもつながります。

自分が見えている景色を通して、その人の見ている景色を知りたい。
その人が見ている景色を通して、その人をことを知りたい。
その人が見てるものを見ること通して、自分を知りたい。
自分を通して、自分とは違う人のことを知りたい。

一人ひとりが、ひとりひとりのことを知りたいと願う気持ちが、みんなで何かをするためには必要不可欠だと思うのです。


乗り越えて学んだことを、多くの人に届ける

人それぞれ、さまざまな形の好奇心や探究心、願いがあると思っています。

新しいことや新しい見方を知って、喜びたい
知ることによって広がる世界の景色を見たい
知識に伝えて、誰かの知らないことによる不和を減らしたい

誰が見てくれるかわからないのだけど、伝えたい相手に伝わるかどうかわからないのだけど、自分がいま見ているものはできるだけオープンにすることで、初めて誰かの何かのきっかけの一部になることができます。

人の心に寄り添ってみてわかること
プロダクトをつくっていてわかること
社会の動きを見続けていてわかること

自分の都合の良いように、誰かに影響を与えるなんて、そうそうできません。思い通りの結果になったとしても、それはたまたまかもしれない、それは相手の意思によるものかもしれない。ただ、人の心を動かすものは、また人の心であり意思であるとも思うのです。


自分から信頼することから、始める

cotreeには本当に優秀で個性的なメンバーがたくさんいます。それぞれがそれぞれなりの強さがあり、それぞれなりの弱さがあるように感じます。ときには分かり合えないこともあります。

誰かが自分の想いを表現して、相手に渡してみる。表現は言葉かもしれないし、ビジュアルかもしれない。最初は解釈の仕方や大切にしているルールの差異に苦しむかもしれない。

個人的な考えですが、たとえ話す言葉や表現が違えども、相手を信頼することはできると信じています。

そして、人を信じるということは、不確実な未来を信じることや新しいモノをつくることに似ていると思います。

この人と一緒にいて、よい未来があるかな?
自分たちが進む先は、明るいだろうか?
今つくっているものは、誰かの心を動かせるだろうか?

結果はだれにもわかりません。未来は常に不確実です。だからこそ、不確実さを受け入れ乗り越えるために、周りの人とモノ、自分を信じていきたいのです。

周りにいる人たちを信じてみる。
いまつくっているものを信じてみる。
人やモノを信じようとしている自分を信じてみる。

人を信じるということは、自分を信じるということなのかもしれません。

「きみのことを信じている」と言葉で伝える
「あなたが大切だ」ということを行動で示す
「ぼくにもっと教えてほしい」ということを相手の言葉で語る

そのために自分にできることは本当にたくさんあるので、楽しみながら自由にやってきたいです。


人と自分への興味は、尽きない

一番近いけど、どうしても遠い、人への興味が尽きることがありません。少しだけわかって喜んで、少しだけすれ違っては悲しんで。自分でも愚かだと思うくらい、心はころころと表情を変えます。

喜んでも悲しんでしまうなら意味がないじゃないか。
いつか別れてしまうなら最初から一人でいいじゃないか。

結果だけみたら変化に意味はないのですが、その過程に生まれる人の想いや熱意がたしかに存在します。究極的には、生きて死ぬだけの人生の中で、どれだけ寄り道を楽しめるかが人生を楽しむ秘訣、だと勝手に思っています。

曲がりくねったり
行ってみて戻ってきたり
立ち止まってみたり

道の進み方は、本当にひとそれぞれです。

道が重なるなら、その人たちは一緒に歩けばいい。
道を違えるならば別れればいい。
またいつか道が交わるかもしれないから悲観せずに。

一人で歩くにはあまりにも長くさみしいこの人生を、楽しく歩ける誰かが一人でも見つかれば十分なのではないか。

天文学的な確率を乗り超えて、無数の選択肢の連なりによって、いま大切な人と出会えているなら、その人を精一杯大切にすればそれでいいのではないか。

そう、強く思います。


あとがき

先日改めて、cotreeのCOOに就任させていただきました。いまいるメンバーとか関わってくれている人と一緒なら、本当に色々なことができると信じています。いま思っていること、これからみんなでやろうとしていることなどはまた別途まとめようかと。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。


最後まで読んでいただきありがとうございます。