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きみが、きみの中のぼくをみる。

目の前にいる、きみと話せないことがある。きみが目の前のぼくではなく、きみの中のぼくをみているときだ。

フジファブリックの曲の中に独特な雰囲気を持つ曲がある。Mirrorという曲だ。

その曲の中の冒頭部分の歌詞が印象的だ。

きみがきみの中のぼくをみる。
ぼくはぼくの中のぼくをみる。

お互いがお互いの中にいる相手をみている、という歌詞に思い当たる節がある。

ついつい相手に期待してしまう
助けてくれたときのことを思い出してしまう
気持ちを理解してくれない相手が許せない

誰かに対峙したとき、相手を解釈するための尺度はすべて自分の中にあるものだ。目の前の相手のことをみているつもりでも、自分の価値観を投影してしまっていることが、よくある。

それがよいかどうかよりも、自分の見る目に狂いがないと信じ切ってしまうことに、少しだけ怖さを感じる。自分が正しいと思い込んでしまうことは、いまの自分の判断軸や価値観に足りない点があっても気づけなくなってしまうから。

すべてに疑心暗鬼になる必要はないけど、相手のことが信じられなくなったり話がよくわからなかったりしたとき、気をつけたい。

相手を決めつけないように、自分の考えが凝り固まってしまっていないかを確認したい。誰かに勝ったり支配することよりも、二人でよい未来に向かうための方策を考えたい。

目の前にいるのにその人と話せないことは、とてもせつない。人と人との根源的なさびしさやわかりあえなさを感じてしまう。

できるだけ目の前の人と会話をしたい。借り物の言葉ではなく、自分の言葉で話したい。嘘や見栄ではなく、正直に話したい。

完全にきみのことがわからなくても、せめてぼくの中のきみを、目の前にいるきみに近づけたい。長く寄り添えば寄り添うほど、必要なことだ。


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