「読むこと」の本質を考える【前編】
先日、たくさんの方のnoteを読ませてもらいました。そこで「読むこと」には価値があるなと感じました。
改めて考えてみると、いつでも誰もが何かを読んでいます。自分が読まなくてもきっとその文章は誰かに読まれるのです。
そんな中で、自分が何かを読むことにどんな意味があるのか、そもそも「読むこと」の本質は何なんだろうと思い立ち、書きながら考えることにしました。
思いついたままにつらつらと書いていきます。
1. 意味を理解する
書かれている文字や文章の意味を考えたり事柄の解釈をしたり、最も一般的なことだと思います。人は書かれた文字を読んで主観的に意味づけをして、色々なことを理解しています。
知りたいことがあったり気になることがあったりしたとき、人は「読むこと」を欲するのだと思います。
2. 虚構を想像する
文字や文章で表現されることの中には、現実ではないことも含まれています。それでも「読むこと」を通して、自分の想像力を刺激されて現実ではないことを想像することができます。
目に見えることだけがすべてではない。現実に起きていることだけがすべてではない。そう実感するために、人は「読むこと」を欲するのかもしれません。
3. 人を想う、人に出会う
何かを読むとき、書かれている文章が誰のどんな想いによって書かれたものなのかを、つい想像してしまいます。それは書いた人のことを想う時間です。
書かれた文章がなければ出会えなかった人と出会うような瞬間です。だから良い文章を読んだときには、良い人と出会えたような感動があるように思います。
4. 自分の力量を計る
読みながらつい自分と比べてどうかを考えてしまうことがあります。それは他人の文章を通して、自分の書き力がどの程度のものなのかを考えることです。
文章の上手い下手は他の誰かがいることが初めてわかります。世界に一人だけだったら上手いも下手もないのでしょう。
他人の文章を「読むこと」でしか、自分の文章を客観的に見ることができないのかもしれません。
5. 美しさを感じる
文章に美しさを感じることがあります。文字のバランスや言葉遣い、文脈の作り方など、その一つのパターンしかはまらないような絶妙さが宿ることがあります。
「読むこと」を通して、その美しさを探しているような気がします。楽しさや悲しさとは全く異なる軸を自分の中に持ちたいと思っているからかもしれません。
あとがき
今日は一旦ここまで。明日と明後日くらいもゆっくり考えてみようと思います。読むことの本質を考えてみた方、ぜひぜひ教えてください〜。
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TOP画像は、マイメガネ。ヤマシタさんには本体はメガネですよねって言われるくらい、メガネもがんばって考えてる。
Twitterでも色々考えてます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。