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何者でもない時、自分らしくなる

最近、「話を聞くのが上手いですよね」と言われることが何度かあった。

得意かどうかはわからないけれど、人の話を聞くのはすきだ。自分が知らない価値観や世界を知ることが、とてもすきだ。


無意識に何者かになろうとする時

話を聞く中でたまに感じているのは、その人の「何者かになろうとしている感」である。大抵の場合、その願いはぼんやりしていて、自分以外の人や環境からの要請に動かされている。

会社から求められててさ。
このままじゃだめだと思ってて。
もう少し頑張らなきゃいけないんだ。

そう語る相手の顔に曇りがあるとき、ぼくはその人にたくさん質問をしてしまっていると思う。

いま難しい理由はどのへん?
仮に障害がすべてなくなったら?
その願いが叶ったらどんな気持ち?
その先にはどんなイメージがある?
何してるときがテンションあがる?

聞き方はできるだけ相手に伝わりやすいように、かつ相手のペースに合わせて。自分と相手の扱うテーマが広く自由になるように心がけながら、ぼんやりとした輪郭をクリアにしていくようにしている。

いろいろな条件が噛み合えば、相手は普段考えていなかったことを考えたり新しい視点に気づけたりする。

その瞬間の晴れやかな顔をみるのが、とてもすきだ。そしてその顔こそが、その人の顔なんだとも思う。


何者でもなくなる時間

質問しているとき、きっとぼくは何者でもなくなっていると思う。

ひらやまでもなくcotreeの人でもなく、ただ相手の目の前にいる一人の人として、気になることを聞いているだけだ。自分の意見や考えを話しすぎると、相手は集中できなくなってしまうと思う。

不思議なことに、何者でもない質問者に答えることを通して、答える人も何者でもなく考える時間が生まれるのだろう。

本人が気負いなく自由に考えているその時間こそ、相手にとって真実の時間であり、その人らしさが最も出る瞬間だと思う。

色々な期待や関係性に取り巻かれやすい今の時代、自分の人生を生きるには、背負ったものを下ろして、気負ったものを落ち着けて、ただの一人としている時間があった方がいい。


何者でもない時、自分らしくなる

自分を大切にできない人が、相手を大切にはできないと思う。相手のために自分の全人生を投げ打ってしまう人は、自分のことを大切にしていない。

あなたの人生は誰でもないあなたのものだ。うれしくても悲しくても楽しくてもつらくても、それはあなただけのものだ。まずそこから始めなくてはいけない。

まず何よりも自分のことを大切にしてあげてほしい。その上で何かがすきな気持ちがあるなら大切にしてほしい。誰かを大切にしたい気持ちがあるなら大切にしてほしい。

あなたがいなければ、あなたに大切にされる誰かは一人もいなくなってしまうから。誰かを守るためには、まず自分を守らなくてはいけない。それは簡単な道ではないだろうけど、まずそこから始めなくてはいけない。

朝からケーキを食べてもいいし、
昼からビールを飲んでもいいし、
真夜中に叫んだっていいんだ。

そんな何者でもなくなる時間が、とてもとても大切だと思う。

TOP写真は無心でビールを飲むひらやま。これが自分らしいかはわからないけど、なんかほっとする瞬間。



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