#12 もし神様があらゆることを一瞬で叶えてくれるボタンを渡してくれたら

無駄なことがすきな人はいるでしょうか。

そういう人は少ないかもしれません。誰だってゴールには早くたどり着きたいと思います。

ある日、神様があなたの目の前に現れて、あらゆることを一瞬で叶えてくれるボタンを渡してくれたとします。

「億万長者になりたい」
「名声を得たい」
「世界から貧困をなくしたい」

あらゆる願いがボタン一つで叶えられ、自分と世界は思うがまま。1時間もあればやりたいことのすべてを叶えることができるかもしれません。

そこでふと思うのです。

「あらゆることが一瞬で叶う世界は、楽しいのだろうか?」

困難や悔しさ、つらさがない。山も谷もなく紆余曲折もない。あるのはただ願いが叶うこと。

個人的な見解ですが、自分はきっと楽しむことができないと思うのです。

理由を考えてみると色々ありますが、大きくは二つ。一つは自分でなくてもいいこと、もう一つはプロセスがないこと。

ボタンを押せる人ならば誰でも世界を救うことができる。別に誰でもいい。そこに自分である必然性はありません。そうしたことに魅力を感じられない。どうせやるなら自分だからできることをしたいと思ってしまうのです。

また楽しむことができるのは、いつだってプロセスです。始まる前から結果がわかっている勝負、なんだかよくわからないけどクリアできるゲーム。プロセスのないゴールを楽しむことはできません。

人生は生まれからスタートで死によってゴールします。とするならば、人生の生きている大半は、いつもプロセスです。いつだって楽しめる可能性に満ちているとも思えます。

できないことがあるから、できたときの喜びがある。曲がった道があるから、まっすぐな道に心地よさを感じる。悲しさやつらさがあるから、うれしさや楽しさがわかる。

何一つとして欠けてはいけないもので、人生はできあがっているのかもしれません。

無駄なことがすきな人はいるでしょうか。

言い換えれば、無駄のない人生を愛することができるでしょうか。

誰だってゴールには早くたどり着きたいと思ってしまいます。

しかし、あまりにも早く辿りつけてしまうゴールも味気ないと思うのです。

より早く、より簡単なものに憧れてしまう気持ちを持ってもいいと思います。ただ、それでも自分は自分の速度でいいんだと言い聞かせながら、今日を過ごしていくのだと思います。それでいいのだと思います。

それでは、また。

2019年7月11日
ハワイ・プリンスビルにて


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