あなたの持つ強さを、丁寧に取り扱ってほしい。
「強い」という言葉が似合う人がいる。
揺れることなく自分の道をまっすぐに歩けるような凛とした強さは、憧れの対象になりやすい。
でもどんなに強く自立している人でも、ふと揺らぐときがある。思わず弱るときがある。
君は自立しているから、手は貸さないよ
そんな心ない言葉に出会ってしまうと、たまったもんじゃない。普段がんばっている人ほど、人知れず深い傷を負うだろう。
支えたい気持ちに、細心の注意を
noteやTwitterで、「人の役に立ちたい」という想いを耳にすることがある。
誰かを支えたい
困っている人を助けたい
自分と同じ痛みをこの世からなくしたい
利他的な気持ちはとても大切なのだけど、細心の注意を払わねばならない。
心の底では誰かの支えを欲しているのに、利他的な発言をすることは、弱さを隠しているだけだ。前向きな言葉に後ろ向きな意図を隠してはいけない。
支える人に、賑やかさを
誰かを支えるには、自分の中に「芯」のようなものが必要になる。そのイメージは、茨木のり子さんの詩の中にある「賑やかさ」が近い。
一人でいるとき淋しいやつが
二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな
恋人よ
まだどこにいるのかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
あってくれ
一人は賑やか|茨木のり子
一人で賑やかになれない人が二人集まっても、賑やかにはなれない。賑やかフリができたとしても、一人になったときには淋しさに埋めつくされてしまうだろう。
支えている自分に酔ってはいけない。淋しさを埋めるために、誰かを口実にしてはいけない。
自分が賑わうポイントで一緒に賑やかになれたり、賑やかな自分を受け入れてくれたりする人となら、きっと二人でいても賑やかな気持ちでいられる。
強そうにみえる人に、支え合いを
強さに憧れた人からの心ない言葉に出会ってしまい、人知れず傷を負ったときには、自分の中の賑やかさを思い出してほしい。
たとえいま誰からも理解されなくても、自分の賑やかさを大切にしていれば、同じような人にきっと出会える。
「支え合い」は、支えたい人と支えられたい人の気持ちの重なりではなく、お互いのお互いに対する支えたい気持ちの重なりから生まれる。
あなたの持つその強さを、丁寧に取り扱ってほしい。自分の全部を懸けて「支えたい」と思える人を賑やかな気持ちのまま、迎え入れてほしい。
どうか、あなたのままでいてほしい。
あなたの賑やかな未来を祈りながら、まずは自分の中の賑やかさを大切にしようと、決意する。
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