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人の形をした偶然を愛したい

いまあなたの目の前に誰かいるだろうか。その人とはどういう関係だろうか。どこで出会い、なぜ一緒にいるのか。

出会いの不思議さを丁寧に考えていくと、最終的には偶然に落ち着いてしまう。

あの日飲みに行ったから、仲良し。
あのときを乗り越えたから、親友。
その家に生まれきたから、家族。

あらゆることにおいて、あなたがその場所にいて、そのときの行動をすることは、必然性はほとんどない。

自分には、確かな意思があった。

どうしてその意思を持てたのだろう。飲みに行くのがすきだからか、信頼できる仲間だったからか、自分の周りに意思決定ができる人が多かったからか。

一つ一つの選択の理由を突き詰めても、自分がいまここにいる根源的な必然性を見つけることができない。

改めて目の前にいる人のことを見ると、とても不思議な気持ちになる。

目の前の人は、人の形をした偶然だ。ぼくは偶然の塊である君と対面している。

ぼくと君は、たまたま出会い、たまたま一緒にいるだけなんだ。人との出会いを完全にコントロールできるときは訪れないのだろう。

不合理さを味わうことができるか
不確実さを楽しむことができるか
偶然を受け入れることができるか

すぐには難しい、ぼくたちはずっと理由や必然性を求めてきてしまったから。でも少しずつであれば、取り戻すことができる。それは自然さだったり自由さだったりする言葉で語られるかもしれない。

不合理さを受け入れよう。
不確実さを楽しもう。
偶然を愛そう。



TOP写真は、cotree忘年会での一枚。ちばさんと未来の話をしていた。


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