言葉を紡ぐときに零れ落ちるものを見たいから、言葉を紡ぐという矛盾
喉まで出かかったことを、しまう。
文章を書いた紙を、くしゃくしゃにする。
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言葉で表現できることはとても限定的だ。
日本語で書く以上、日本的な表現から抜け出ることができない。他の言語でも同じことが起こるだろう。
他人のnoteを読むときに意識することがある。
どんな想いで文字を綴っているのか。
その人の生き方がどんなものか。
一連のnoteの流れはどんなものか。
文章と文章の間、noteとnoteの間、あるいはその連なりにある「その人の何か」を、ずっと探している。
言葉を紡ぐときに零れ落ちるものを見たい。
その気持ちは、自分に対してもある。
自分が書く言葉と言葉の間には、どんなものがあるのだろう。9ヶ月で200本書いた一連の体験は、どんな想いを生んでいるのだろう。
その間のようなものが気になっているから、いままで書いてきたし、これからも書き続けるのだと思う。
その興味は人に対する興味で、書くことを通した人の生き方に強く惹きつけられる。
言葉を紡ぐときに零れ落ちるものを見たいから、言葉を紡ぐという矛盾。
その矛盾に切なさを感じる。そんな分かりづらいものに強く惹きつけられてしまう自分を不思議に思う。
誰に何と言われてもしてしまうこと。
周りに理解されずともしてしまうこと。
そういった癖みたいなものが、自分の個性なんだろうと無理やり納得させる。その個性を活かせばいいじゃないかと開き直る。
わかりづらいことがすきで、目に見えないことがすきで、矛盾の先に未来を見つけようとする自分のことを、まあまあすきだと思えているので、良いのではないかと思う。
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喉で詰まっていた言葉を、口にしてみる。
くしゃくしゃの紙を、取り出して開く。
そこにある言葉たちは、美しいものだ。
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TOP写真は、丁寧な生活を営みたがってるCNO。ちゃんあきさんがいい写真撮ってくれるのうれしい。
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