文章を完成させるのは、誰か。
ずっと不思議に思っていることがある。
同じ言葉を伝えても、人により受け取り方が異なる
同じ文章を読んでも、人により感じ方が異なる
同じnoteを読んでも、人により感想が異なる
さまざまな人が同じものを受け取るのに、異なる感じ方をする。人は一人ひとり違うから感じ方が人それぞれなのは当たり前だけど、どうしても不思議に感じてしまう。
人が一人ひとり持つ不思議さの形を知りたいから、自分は文章を書いたり人と話したりすることがやめられないのだと思う。
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自分が書いた文章が、誰にどんな影響を与えるかわからないから、こわい
noteを書けないという人から、言い方は違えど、読む人への影響を気にする言葉をよく聴く。その人がこわさを抱えるに至った理由は、きっとたくさんあるのだろう。
自分の文章で誰かを傷つけてしまった
自分の言葉が意図と違う伝わり方をしてしまった
渾身の文章が誰にも伝わらなかった
話を聴いたり文章を読んだりして、その人の抱える気持ちをいつも探っている。その人が、また筆を取るのか、もう二度と筆は取らないのか、どんな道を進むにしろ、必要なのは周りからの言葉ではない。その人の中から発見される、その人自身の言葉が必要だ。
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自分の言葉と文章に、他人を変える力があると思ったことは、一度もない。
自分の文章を読んで元気になった人がいても、自分のおかげだと思わない。それは文章のおかげではなく、その人自身の力だ。文章を読んだことはきっかけでしかない。
自分が相談を受けて前に進めた人がいても、自分のおかげだと思わない。それは相談のおかげではなく、その人自身の力だ。話したことはきっかけでしかない。
文章を読んでくれる人、相談してくれる人の力になりたいと心から思っている。表現の技術や心得は勉強して、いつもそのときの自分の全部で表現をしている。
だけど、どこまでいっても自分の文章や言葉に力があるとは思わない。
自分の言葉と文章で、変化のきっかけに立ち会いたいと思うことは、よくある。
ひらやまさんのnoteを読んだから、踏み出せました
noteもくもく会がきっかけで、文章をかきはじめました
ひらやまラジオを聴いたから、ゆったりとした聴く時間を持てました
こういう声をもらえるのは、とてもうれしい。同時に、よく変化できたのはあなた自身の力なんだと、強く思う。
同じ文章や表現に触れている人はたくさんいるけど、よく変化できる人は一握りしかいない。だからよく変化できたのは、きっかけを感じて、行動できたあなた自身の力だと、何度でも伝えたい。
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人はいつでもどんなときも、少しずつ変化していく。自覚があるなしに関わらず、よくもわるくも変化していく。とてもいい変化もあれば果てしない悲しみを伴う変化もあるだろう。
誰かの変化のそばに寄り添うには、自分自身も変化を求められるだろう。
日々の考えや意見を文章や表現で残しておきたいと思うのは、自分の変化を捉えたいからだ。自分の変化を捉えるには、いつだっていまの自分を残し続ける他、選択肢はない。
その人が自らの言葉を発見するまでの長い道のりを代わってあげられないけど、せめて一番近くでみつめていたい。そんな役割を果たせる文章や表現ができたら、とてもうれしい。
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生み出された文章や表現が完成するには、長い時間とプロセスが必要だ。
誰かの変化のきっかけになり、その人自身がよく変化して、変化のきっかけをその人の言葉で解釈し直したとき、きっかけになった文章や表現は、新しい意味を獲得する。
願わくば、その見つけた意味を、表現した人に教えてほしい。書かれた文章は完成して完結したけど、読んだ人と書いた人の二人の物語は、完成した文章のその先にあるから。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。