#11 不完全さについて

「これが絶対おすすめ」
「こっちおいでよ、きっと楽しいよ」
「どうしてやらないの、楽しいのに」

思いやりから出た言葉のように聞こえるますが、そこには前提が隠れていることがあります。

「私とあなたは同じ感覚だよね」
「私は正しい、間違っていない」

自分と他人に境界を引かず、自分は正しいと思うこと。その共感を強要する無邪気さは、危険だと思ってしまいます。

人は一人ひとり圧倒的に違う存在です。にもかかわらず、さまざまな理由で同じ存在として感じてしまう。分かり合えることはうれしくて、分かり合えないことはかなしいから。

ただ、どんなに親しくても、どんなに距離が近くても、分かり合えない部分はあるのです。家族、夫婦、恋人、親友、そのどれでも。

その不完全さ、かなしさ、さびしさを受け入れることを拒否してはいけないと思います。うれしい、たのしい側面だけを見てはいけないのです。

不完全さを受け入れることが、本当に生きることの始まりのようにも感じます。

「さみしいけど、一緒ならうれしい」
「すきな部分もきらいな部分もある」
「私の中では正しいけど、あなたでは間違っている」

自分が不完全であることを受け入れ、
相手が不完全であることを受け入れ、
ありのままを受け入れる。

自分に至らない点がある
相手に気に入らない点がある
それでもいい。

常に良くなる努力はするかもしれないけれど、いつだっていまは不完全なんだと思います。そんな不完全な人が、不完全なままに生き抜いてゆく決意をすることを、自立と呼ぶのかもしれません。

自分を、相手を、個人を尊重できる人でありたい。

それでは、また。

2019年7月10日
ハワイ・プリンスビルにて

最後まで読んでいただきありがとうございます。