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100スキを超えたnoteたち

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100スキを超えたよく読まれているnoteたちをまとめています。
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#note

生まれ変わるとしても、ぼくはまた「書くこと」がある人生を選ぶ。

noteと出会うまで、自分の人生には「書くこと」が存在しなかった。noteをはじめるまで、世の中とのつながり方の一つを知らなかった。 * 「書くこと」に関する一番古い記憶は、小学四年生の読書感想文だ。「12番目の天使」という小説を読んで、涙した想いをそのまま原稿用紙に落とした。 「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなってる。」 難病にかかった主人公のティモシー少年が毎日唱えていた言葉に心惹かれて書き殴った文章で、生まれて初めて賞をもらった。 夏休みの宿題の中

自分を救う文章は、誰かを救う

美しい言葉はいらない。強い言葉もいらない。 ただ、自分のための文章を書けばいい。自分の悩みを整理する文章は、似た悩みを持つ誰かの助けになるから。 何かの役に立たなくていい。世界を救わなくていい。自分が知りたいこと、やりたいことに必要な文章を書けばいい。自分のための文章は、誰かのための文章になるから。 自分を救う文章は、誰かを救う。自分のために書くことは、誰かのために書くことにつながっている。だから、自分のために書けばいい。 そういう意図で書かれた文章は、手紙のようにな

「いいねされたらnote読みます」企画で110人以上のnoteを読んだら、やっぱり楽しかった話。

世間がお盆真っ只中の8/15の朝、またはじめてしまいました。 前にもやった企画ですが、今回も相変わらず楽しかったので、いまの気持ちをまとめておきます。 何をしたのか Twitterで上記のツイートをいいねしてくれた人のnoteを読んで、すきなnoteをシェアしていきました。結局、1.5日の間に110人ほどのnoteを読ませてもらいました。 前回と違うことは、noteを読まれた人は、ひらやまのnoteの中ですきなものを教えてもらうこと。(自分でもどうしてそうしたらよくわか

会いにいこうよ、書いてくれた人に。

よく人に会ったり話したりすると、たくさんいいことがあります。その一つは、会った人のnoteを読むことが楽しくなることです。 会ったことがある人とない人とでは、noteから読みとれるコンテキストの量が違います。話したことがある内容でも文章として整理されていると、読み味はまったく異なります。 会ったことがある人のnoteは、文章コンテンツではなく、人の物語の一編として読めるようになる気がします。 うれしかったこと、楽しかったこと 悲しかったこと、不安だったこと 成功したこと

止まった時間と透明な回転扉

自分の中に止まった時間がある。 生きることに必死だったが、どこにも向かえなかった時間。精一杯もがいたが、少しも動けなかった時間。 希望はなかったが、絶望しないように必死だったときの記録と記憶。 *** 二年前のある日、有楽町線の電車に乗っていた。当時通っていたカウンセリングルームの帰りか散歩の帰りか、よく覚えていないが、めずらしく外出した日だった。 自分の気持ちがわからなくなってから、しばらく時間が経っていた。 うれしいとか楽しいとか悲しいとかつらいとか、なにもわ

ぼくの気持ちを勝手に決めないでほしい

知った風な口をきかないでくれ。自分の気持ちは、確かに感じている。言葉にができないけど、確かに感じているんだ。それを否定したり決めつけたりする権利はあなたにはない。 その言葉に重みはあるか。つらさはどれほど含まれているのか、かなしさはどれほど含まれているのか。言葉にするのは簡単だけど、人の気持ちを想像しきることはできない。どんな専門家でも完璧にはわからない。 自分の気持ちの理解を誰にも譲らないことは、相手を拒絶することではない。相手の気持ちをわかったつもりになることこそが、

いいことを書こうとしない。

書くことを難しくするのは、いいことを書こうとする気持ちだ。 結果にコミットしはじめると、すぐに息苦しくなる。書く時間は手段になり、費用対効果を求め出す。 文章の印象は、書き手だけでは決まらない。読み手がいて文章は完成する。仮に美しくない文章を書いてしまったとしても、それは書き手の人格とはなんら関係ない。 書きたいなら書けばいいし、書きたくないなら書かなければいい。自分の気持ちを理解することは難しいけど、大切なことだ。 上手な文章を書くには技術がいる。だけど書きはじめる

【1/26 20時更新】みんなの「渾身のnote」を紹介するnote

自分の想いのすべてを込めた渾身のnoteがあまり読まれないことは、よくあります。自分も何度もありました。 「みんなに読まれているnoteではなく、その人の渾身のnoteが読みたい」 そう思ってTwitterで募集してみました。 じわじわとたくさんの方からnoteを教えていただいているので、少しずつ読んでいこうと思っています(渾身な分だけ読むの時間かかる。。)。 そしてせっかくもらったみなさんからの渾身のnoteをタイムラインに流すだけではもったいないので、順次このno

11日後にnote休むひらやま

終わりを意識することは、普段どれほどあるだろうか。なんの根拠もなく、変わらぬ明日がやってくるように感じてしまうことが、よくある。 「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画がTwitterでバズっている。 日常的な内容のはずなのに、そこに終わりが設定されているから、普段とは異なる印象を受ける。 ふと「ワニが見てる景色を見てみたい」と思ってしまった。 彼は、あるいは書いている筆者は、終わりを「決まるもの」ではなく、「決めるもの」だと捉えているような気がする。 未来は確実

同じテーマを一緒に書く「 #ペアnote 」をはじめたい。

「同じテーマを一緒に書きませんか?」というお誘いです。 自分でnoteを書いたりnoteもくもく会をしたりする中で、書くという孤独な行為の中にもゆるやかなつながりがあるとより豊かな時間になると感じていました。 ただ物理的に集まって書ける人は、人数でも場所でも限りがあります。キャンペーンやコンテストを通して一体感を持って取り組めるけど、ちょっと気後れしてしまいます。タグで応募しても同じことを書いた人とつながることはあんまりないなぁと。 もうちょっと気軽にゆるやかなつながり

「書けないこと」を書けばいい

「noteがなかなか書けません」と言う人がいる。「こんなレベルの文章じゃ世に出せません」と言う人がいる。「もっとうまく書けるようになってからnoteにしたい」と言う人がいる。 そんな人たちに、一言だけ言いたい。 どうかその気持ちを、 いまnoteに書いてほしい。 あなたの不安な気持ちと同じ気持ちを抱えている人がきっといる。文章に自信がない人がきっといる。もっと上手くなってから書こうとする人がきっといる。 あなたがいま話している言葉は同じ悩みを抱えた人にきっと届く。一人

「読むこと」の本質は、人を想うことだ【後編】

3日に渡って、「読むこと」を考えてきました。自分の中で少しずつ輪郭が見えてきたので、まとめていきます。 「読むこと」は簡単にできる誰もがあらゆる場面で何かを読んでいます。文章も漫画も新聞も、食事のメニューや商品のラベルも、色々なものが人に読んでもらうために必死に訴えかけてきます。 いざ発信する側、書く側になってみると、「読んでほしい」「伝わってほしい」という気持ちは、痛いほど分かります。 すべての情報や文章が、「より読みやすく」「よりわかりやすく」「より簡単に」加工され

「読むこと」の本質を考える【前編】

先日、たくさんの方のnoteを読ませてもらいました。そこで「読むこと」には価値があるなと感じました。 改めて考えてみると、いつでも誰もが何かを読んでいます。自分が読まなくてもきっとその文章は誰かに読まれるのです。 そんな中で、自分が何かを読むことにどんな意味があるのか、そもそも「読むこと」の本質は何なんだろうと思い立ち、書きながら考えることにしました。 思いついたままにつらつらと書いていきます。 1. 意味を理解する書かれている文字や文章の意味を考えたり事柄の解釈をし

これからの「生き方」の話をしよう

ずっと前から「生き方」というものに興味がありました。 高校生のときから答えのない問いをずっと考えていて、「どんな風に生きたいか」と聞かれたら、「明日死んでもいいように生きたい」と答えられるようになりたいと思っていました。 自分は当時その言葉の意味を以下のように捉えていました。 でも最近になって、「違う意味なのかもしれない」と思うようになりました。 その言葉の意味は、もっと生々しくて、不完全で、人間らしく生きることなのでないか、と思ったのです。 強い言葉との出会い高校