11日後にnote休むひらやま
終わりを意識することは、普段どれほどあるだろうか。なんの根拠もなく、変わらぬ明日がやってくるように感じてしまうことが、よくある。
「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画がTwitterでバズっている。
日常的な内容のはずなのに、そこに終わりが設定されているから、普段とは異なる印象を受ける。
ふと「ワニが見てる景色を見てみたい」と思ってしまった。
彼は、あるいは書いている筆者は、終わりを「決まるもの」ではなく、「決めるもの」だと捉えているような気がする。
未来は確実に不確実なのに、その不確実さを感じることは難しい。自分で終わりをつくることで、現実の不確実さをより感じることができるかもしれない。不確実な現実を前にして、確かないまここへの自分の感じ方が変わるかもしれない。
あと11日後、1月31日を区切りに、noteを少しだけお休みしようと決めた。1日なのか、3日なのか、1週間なのか、1ヶ月なのか、まだ決めてないけど。
1月は毎日更新していて、無理をしているつもりは全然ないけど、きっと無意識的には疲れているのかもしれない。
終わりを決めてみると、不思議とスッキリした気持ちになる。きっと今までそこに使っていたエネルギーを他の何かに使いたくて、うずうずしているんだろう。
noteやTwitterなどのSNSを人とつながるためのものと捉えると、SNSに区切りをつけることは、人とのつながり方の終わりを考えることに近い。それは人生の終わりを考えることにも似ている気がする。
本当に自分は終わっていいのか?
終わりに向かう自分はどんな気持ちか?
終わる瞬間の表情は?
新しい角度からの問いに出会えそうでわくわくしている。
これからの11日間、お付き合いいただけると嬉しいです。
noteを休むまであと11日
最後まで読んでいただきありがとうございます。