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年齢を重ねて、失うもの<得るもの

今年も残すところあとわずか。振り返ってみると、毎年のことでありながら、今年もいろいろやったなぁという印象です。カクテル、ポルシェ、ポーカーなど、今まで制作で関わることがなかったジャンルへの挑戦があり、本職のスポーツでは日本の国技である柔道の専門誌「柔道マガジン」を創刊、編集業務を一手に引き受けることになりました。そして来年は新規事業へのチャレンジも控えており、大変だけど新鮮で楽しい毎日が展開されていきます。

仕事が充実する反面、四十肩、靭帯再建手術と、体の故障に苦しめられた一年でもあります。抗えない年齢からくる衰えというやつを感じざるをえませんでした。というわけで、今回は年齢を重ねて失うものと得るものについて書いていきたいと思います。

年をとるのが嫌なのは若さ以外の武器がない証拠

若い頃は年をとるのが嫌でした。10代、20代の頃は40代といったらさえない中年という印象で、50代なんていったらヨボヨボのおじいちゃんぐらいのイメージがありました。でも実際40代の半ばを過ぎてみると、意外と年をとるのも悪くないと思える自分がいます。

きっと年齢なりの人間的な上積みを実感できているからだと思います。10代、20代の頃、年をとるのが嫌だったのは、若さ以外に自分の武器が何もなかったからです。年をとって若さを失うと自分には何も残らない。そう思うと年齢を重ねることが恐怖だったのです。

「30代とかマジおばさんで終わってるし」とか「40代って化石じゃね」みたいなことを言っている10代、20代の若者の皆さん、心配しなくても人間はみんな年をとります。いずれ30代、40代となり、50代、60代となるときがきます。「年をとるなんて嫌だぁ」と思っているうちは、まだ年齢以外の武器が自分には何もないという証拠です。何もないまま年をとると老害になるので、若いうちに自分をしっかり磨いておきましょう。

年をとって得るものがある一方で、年をとれば若いときにできたことができなくなることも当然あります。私も今は4日も5日も連続で徹夜作業はできないし、海外を旅しながらの入稿作業なんてとてもできません。若いときはバク転をピョンピョンできたのに、今では水たまりをジャンプで飛び越えられるかヒヤヒヤするくらいです。そんなもんです。

年齢を重ねて失うものは確実にあります。ここで大事なのは、年齢を言い訳にしないこと。これはおじさんに限らず、若者側も同じです。若者の場合、「若くて経験がないからできません」と年齢を言い訳にしてはいけません。経験がないからこそチャレンジしたことが経験となり、財産になるのです。一方、おじさんは「トシだからもうできません」ではなく、積み重ねてきた経験を武器に違うやり方を探せばいいのです。それがまた新たな財産となります。老いも若きも、年齢を言い訳にしていては、できることもできなくなってしまいます。

丸藤vs飯伏の深みと凄み

こんな話を書いていて、ふと頭に浮かんだのが、NOAH1・2有明アリーナ大会でおこなわれる丸藤正道vs飯伏幸太です。過去に2度対戦が流れ、ようやく実現する夢の対決ですが、正直に言ってしまえば、両者ともコンディション的にはレスラーとしてのピークは過ぎていると思います。

最初に対戦予定だった2009年に闘うのと、今とでは二人の状態がまったく違います。バリバリに動いていた時代のような試合を期待するのは酷でしょう。

しかし、彼らには年齢を重ねたからこその深みと凄みがあります。丸藤選手も飯伏選手もプロレスが大好きで、自身のプロレスを日々進化(深化)させています。若いときのように身体能力に頼るだけではない、プロレスの深みの部分です。丸藤選手の凄さについては過去に書いたnoteを参考にしてほしいのですが、それが深みにつながる部分であり、飯伏選手にも同様のことが言えると思います。

もう一つ、凄みの部分は若いときほど体が万全ではないからこそ、にじみ出てくるものです。両者とも積み重ねてきた激闘の代償として、幾度となく大きなケガを負ってきました。それによって失ったものもあるでしょう。だけど、体に刻まれた傷、それこそが誰にでも得られるようなものではない、凄みにつながるのです。

小橋建太を思い出してください。天龍源一郎を思い出してください。武藤敬司を思い出してください。レジェンドたちはボロボロになりながらも、引退試合まで、ここ一番での輝きと凄みを見せてきました。言い方をかえると、丸藤選手と飯伏選手は、レジェンドたちのような凄みを見せられるステージにきたのかしれません。彼らの勝負で見るべきは、安いバーゲンセールのようなお手軽な技の数々ではなく、その一つひとつの動きから感じられる生き様なのかなと思っています。

「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」

これはパラリンピックの創始者であるルードヴィッヒ・グッドマン博士の言葉です。できない理由を探すより、できる方法を探すほうがはるかに有意義です。年をとるのは悪いことばかりではない。丸藤選手と飯伏選手はそんな姿を見せてくれると期待しています。私自身も若者たちに年をとるのは悪いことではないと、自分の姿で示していきたいと思っています。


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