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「プロレス」のより良い使い方

プロレスをまったく見たことがなく、昭和で記憶が止まっているであろう政治家や芸能人が「それはプロレスですから」と、やらせやシナリオ的な意味で「プロレス」という言葉を使うことがあります。それに対してプロレスファンが激怒するという流れが、しばしば起こっています。というわけで、今回は「プロレス」という言葉を比喩として用いる時のより良い使い方を考えていきましょう。

まず、「プロレス」をやらせやシナリオ的なたとえで使う人に対して言いたいことは、根本的な人としての考え方が間違っているということ。そもそも、悪いことのたとえとして、特定の人やモノ、ジャンルを用いる発想が賢くありません。それらをたとえに使うのなら、良いことのたとえとして使うのが適切です。

たとえば二つのことで成功している人に対して「大谷翔平みたいだね」と評価する、あるいはたくさん資格を持っている人に「藤井聡太7冠かよ」「ジュニア8冠のグレート・サスケだ」というふうに、人やモノを良い表現として使うやり方です。だから「プロレス」という言葉を使うなら、一度挫折した人が復活した時などに「プロレスラーだね」と、その不屈の精神を称えるときに使う。これが理想的な使い方です。誰だって自分の好きな人や好きなモノを悪いたとえに使われたらいい気分はしません。そこの理解がない発言は、賢くないなと感じてしまいます。

一方、不適切な「プロレス」発言に激怒してしまうプロレスファンの方に言いたいのは、「プロレスから何を学んできたんだい?」ということです。私の考える「プロレス」とは、受け入れる度量の深さであり、許容範囲の広さを意味します。つまり、不勉強な人の軽率な発言に、いちいち過剰反応しない懐の深さのほうが、「プロレス」なわけです。意味もわからず、「プロレス」という言葉を使ってしまう人のことも、温かく見守ってあげましょう。それがプロレス心というものです。

過去のnoteにも書いているように、反則5カウントルールや両リン、あるいはやられても立ち上がる姿勢から、プロレスは人生に必要なことを教えてくれます。白黒ハッキリつけるために人を論破するとか、一度でも失敗した人を立ち上がれなくなるまで叩くとか、プロレス心があればそんな思想にはなりません。プロレス的思考の受け入れること、許すことは、人としての器の大きさにもつながる部分です。

プロレス特有の受け止める強さというのは、人生においてすごく大事なことです。何かトラブルがあったり、うまくいかないことがあると、攻撃的になる人が一定数存在します。そんな人に対して、こちらも反撃してしまったら、どんどん物事はこじれていきます。瞬間湯沸かし器は良くありません(SNSで多いですね)。そこでプロレス的思考を発揮し、相手を受け止める、受け入れるのです。簡単にいうと相手が攻撃的なときは「やられておけばいい」のです。

プロレスと同じように人は延々と攻撃し続けることはできません。受け止めれば流れは変わります。まずは受け入れる、受け止めることから始めると、大抵のことはうまくいきます。言い訳をしないというのも同じですね。うまくいかなかったとき、言い訳をするのではなく、自分の失敗を受け入れる、受け止める。そしてもう一度立ち上がる。これは人生に必要な「プロレス」です。

私はこうしたプロレス的思考で仕事に取り組んできた結果、多方面からの信頼を得て、今では尋常ではないくらい大量の仕事依頼を受け、ビジネス的に成功をおさめことができました。プロレス心は本当に大事です。

というわけで、日常に上手にプロレスを取り入ると、いろいろとうまくいくと思います。薄っぺらい「プロレス」発言には、度量の深さ、許容の広さという「プロレス」で返せばいいのです。

ちなみにプロレスには「解釈の広さ」という部分もあります。これについて説明すると長くなるので、今回はやめておきましょう

おわり。

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