ただ、ありがとうを伝えたくて
9月6日の日曜。noteをはじめて4ヶ月になった。
私の心情なんかお構いなしに、季節は秋に向かっている。時間が過ぎるのは、こうもあっという間なんだな。
ドリップコーヒーを飲みながら米津玄師の『飛燕』を聴いていたら、そんなことをふと思った。
◇◇◇
「noteいつも読んでます」「励みになる言葉をありがとう」「いつもパワーをもらっているよ」
ここ最近、友人や昔の同僚など色々な人からnoteの感想をもらうことが多くなった。
私がnoteを書いている理由はただ一つで、自分の思考や感情を深く理解するため。曖昧で変わりやすい感情を細かく言語化して、喜怒哀楽の根底にあるものや思考パターンを知りたかった。
これまで、仕事ではコンテンツマーケターとして大量のアウトプットをしてきたけど、個人的なアウトプットは日記以外何もしていなかったので、それをnoteで試してみたかったのだ。
それだけ。
ただそれだけなのに、誰かの日常に刺激や気づき、励まし、時に笑顔を与えている...みたいだ。
自分の為にしていたことが、いつの間にか誰かの為にもなっていた。
人によっては、共感ポイントやその人のストーリーを伝えてくれることもあり、私はその想いや熱量にただただ胸がいっぱいになってしまう。
忙しない日常の中で私のnoteを読んでくれるだけでも十分嬉しいのに、こんな風に自分の時間を割いてまで、私の感情に対して感情で応えてくれるのが嬉しい。
◇◇◇
私は、自分の文章の価値をPV数や♡の数で測ってしまう癖がある。もしかしたら、noteを書いている人なら誰しも「経験すること」なのかもしれない。
情景描写が上手な人。独自の世界観を持つ人。笑いのセンスがピカイチな人。noteには私が嫉妬してしまう人達が大勢いる。スパッと断言できないところや稚拙で単純な表現方法しか持ち合わせない自分に嫌気が差す。彼らと自分を比較しない方が無理だって。
「理想の自分」と「現実の自分」に乖離があればある程、定量的なものに依存してしまうのだろうか。
でも、コメントをもらうようになって少し気づいた。少なくとも、読んでくれている人たちはそんなこと気にしてないんじゃないかって。
それによく考えたら、皆んなが皆んなリアクションをするとも限らないよね。♡には残らないけど、そっと読んでくれてる人、読もうと思ってまだ読んでない人、読まないけど「note書いてるんだ。いいね!」と心の中でエールを送ってくれてる人。
そんな風に思いを巡らせていくと、細かいことを気にするのがバカバカしいとさえ思えてしまう。
色んな人が「ありがとう」と言ってくれるけど、むしろお礼を言いたいのは私の方で。
だから声を大にして言いたい。
こちらこそ、ありがとうございます!
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【追記】今回、トップ画像に@おくちはるさんのイラストを使わせていただきました。お花をそっと渡すキツネくんがあまりにも可愛いく、心の底から癒されます。素敵な出会いに感謝!
応援いただき有難うございます!いただいたサポートは、自分のスキをさらに磨くための研磨金(?)として使わせていただきます (^^)