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「イタリア旅行の写真」に見えない宝物

10年前の今頃。
すごく緊張した朝。
生まれて初めての、海外での仕事。

私の立場は「ツアー添乗員」。
ほぼ初めての場所にいたとしても
「ここもう20回くらい来てますから
 私と一緒にくれば大丈夫ですよーーー」
みたいな顔して40人近い日本からのお客様を
案内しなければならない仕事だった。

どんなお仕事だって初出勤は緊張物だろうけど
海外、ひとり、ほぼ初めての場所、なのにリーダー。
この独特の緊張感は、自分が経験した限りでは
他のどの仕事にも匹敵しない圧倒的ドキドキだった。

お客様をひとりもこぼさず
なんとか北イタリア・ミラノに到着し
一晩あけて
「さぁ、今日からいよいよツアー本番」
そんな朝。

季節は二月。
地中海の国イタリアとはいえ、冬だ。
特にアルプスに近いミラノは寒い。
早起きしてカーテンを開けると
キインと音が聴こえそうなくらいの
透明感の塊のような空が見えた。

ほとんど明け終わった夜
ほとんど始まりきっている朝
そんな時間が混ざっている空の色

今日から始まる1週間に不安しかないけど
その空を冠した朝のミラノのなんでも無い家並みが
あんまりにも綺麗だったので
わざわざ持ってきたRolleiflexで写真を撮った。

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北から始まるツアーは、
まずミラノを観光し
ヴェローナに寄ったりしながらアドリア海のヴェネツィアへ。

ヴェネツィアといえば海と運河の街で
必ずゴンドラで水上の旅を楽しむ時間がある。
水面ギリギリに目線の高さが下がるゴンドラの上
海に浮かぶ無数の杭を眺める。
こんな風に海の上に人が街を築きあげ
何百年も暮らしていけるなんてとても信じられないような気持ちになる。
少し怖いし、とても自分の手には負えない
すごいものを見ているような気持ちに。
それでもやっぱり水面を眺めている時に
不思議と落ち着くようなワクワクするような
あの気持ちはなんなんだろう。
ヴェネツィアの「縁の下」のようなさりげない水面の風景に
なんだか分からないままやっぱりシャッターを切ってしまう。

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旅は進んで最後の滞在地はローマ。
やはり朝、一足早くホテルを出て駐車場へ向かう時の
粒子がこれ以上ないくらい細かく感じる
冬のシンとした朝の光があんまり綺麗だった。
そして、その光の下に立つハイウェイのライトが
とても普遍的なワクワクや哀愁を漂わせていて
またしてもシャッターを切ってしまった。

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ミラノと、ヴェネツィアと、ローマと。

イタリアを代表する「都」を渡り歩いて残ったものの中で
この3枚は特別に気に入っている3枚。

わざわざ説明されなければ
一体どこだか全然分からないような
モニュメンタルでフォトジェニックなものが
特に何も写っていない写真。

でもそこにあった
耳の中でキーンと響くほどの静けさや
触れば割れてしまいそうなほど張り詰めた朝の空気の色や
水と人の営みが重なる場に漂う畏怖とか驚きが
そのまま写真の中に閉じ込められているようで
小さなL版のプリントを時々手に取っては
その隅々まできれいな発色をめでたくなってしまう。

この「名も無き景色と名も無き感覚」に宿る
「普遍性」が私は大好き。

その場所ならではのスペシャルな景色ももちろん魅力的だし
そのようにこの世界を味わい、働き、暮らすのも佳い。

でも、どこでもありどこでもないような景色だから思い出せる
人間のささやかな驚きや喜びや緊張や発見の感触。
どんな文化の人の中にもある共通の感慨。

「同質であれ」という同調圧力や
「国際人であれ」というグローバリゼーションとも違う。

「人間だもの」でつながるuniversalなもの普遍的なもの
そこにある淡い連帯感に触れた時に、
静かに呼び起こされる感動がある。

大きな観光バスで都市と都市を高速で通り過ぎ
つまみ食いするように名所を観光する日本の「ツアー」。
その先頭で旗を降り「みなさーーん」と笑顔で話しながらも
そんな、普遍性に触れる感動をいつも大切にしていた。

それは写真を撮る時にも
旅の仕事を離れて10年たった今
日々の子育てをする中でもずっと忘れない私の作法。
どこにいても、目を向ければ世界の方からやってくる
静かな感動の種をちゃんと見つけてあげたい。

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