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アーティストご夫妻岡田裕子&会田誠さん:クリエイティブ・ペアレンツのインタビュー第17回(第3弾)

岡田会田ご夫妻のインタビュー、最後となる第3回はお子さんの寅次郎さんの活動についてお聞きしました!


− お子さんとどのように遊んだりしましたか?

A:「公園に行くとかはしてましたが、息子はあまり活発に体を動かすことはしませんでしたね。砂場でひたすら穴を掘るとかしてました。」

O:「おもちゃを買うこともほとんどなかったですね。当時は貧しかったし、お下がりで済ませたり・・・。本人があまり欲しがったりしなかったというのもありますが、ただの紙切れ千切って遊んだりしてましたね。幼児までは我が家に日常的に若いアーティストがいたり、美術関係の人が出入りいたりしていて。そういう人たちとみんなでよく居酒屋にも小さい時連れていって、ツマミのおひたしやおうどんなんか食べさせていて。そういう時に子どもって何か気を紛らせるものとしておもちゃがあるといいんですけどね。それで、遊びの道具として鍵をガチャガチャさせたり、紙切れでこより作ったり・・・単純な遊びの方が飽きずに夢中になってたかも。テーブルの上にある小さいものを並べていく遊びとか。」

A:「僕は作品を作っているときは他の人に見られたくないので、アトリエは住居と別にあったりします。息子もそうだけれど、裕子さんも制作場所にはいない方が良かったりするので、制作の環境は、独身の頃から変わらないです。サイズによるんですけれど、頼まれてイラストを描いたりする時は家でやることもありますが」

O:「子どもが小さい時から、会田さんは近所にあるアトリエやアーティストインレジデンスなど、別なところで仕事してましたけど、私は息子を膝に抱っこして仕事したりしてました。パソコンで編集したりするのに、二人羽織のようにして膝に座らせてやってました。そういうのを見て幼い頃からパソコンの使い方を自然に覚えちゃったのかもしれないね。」

— コロナでは家族との暮らしが増えますが、どうですか?

A:「うざいんですけどね。寅次郎は、予定通りなら毎日自転車で大学に通う予定だったんですけどね。」

O:「息子は大学一年生なのですが、今の大学生は一年生が一番かわいそうに感じます。入学時から学校に行けず友人もできず全てオンライン授業です。美大などの実技系大学は対面授業も少しづつ始まっているのですが、彼の大学は一般大学で座学が基本なので、今年は全てオンラインで通すようです。家族が一緒にいるのはそんな嫌じゃないし、一人でいるより三人の方がいいかなあ、と。それはまあ良かったなと思ってますが、家族関係に悩みがある学生は大変だろうなと思います。ソリが合わないとかできるだけ親と顔を合わせたくないって親子関係もあるじゃないですか。実は私の実家がそうだったから、私がもし今の学生でオンライン授業でずっと実家にいるとしたら、ストレスでおかしくなるかもって想像しました。でも辛いですね、コロナ禍の大学生は。私の知る限りみんな本当に真面目ですよ。良く若い子が弾けて遊んでいるから蔓延するんだとかいうニュースが出たりしてますが、学生たちはそういう世間の評価にみんな怒ってると思います。私が知っている学生たちは、本当に真面目に自粛しているんですよ。春も夏も、家からほとんど出ず授業を受けていました。リモート授業を毎日受けていると、パソコンの前に座りっぱなしで本当に家から出れないので、健康の心配もあります。美大の学生も登校が始まる前の夏までは本当に辛そうな子が多かったですね。」

— 最後に会田さんにもう一度お聞きしますがお子さんが19歳にまでなられて、影響を受けたことなどんなことだと思われてますか?

A:「なんと言いますか、僕はコンピューターとかほとんどいじらない人間ですが、息子からチラチラと聞く話で、僕が今後もちゃんとは関係しないだろう人類の未来になんとなく間接的ですが触れられて、こちらはちょっと得してる。未来を託すというと大げさすぎますけど、悪い未来であれ良い未来であれ、ここに未来がいるんだなという感じは、悪くはないですね。ますます自分は過去の人間だと思っておりまして、うまく言えませんが。」

— 小さい時からコンピュータに馴染んでそれが身体化されているから、私たちがみている情報とは全く違いますよね。子どもを通してしか触れられないぐらいに違いを感じますよね。寅次郎さんが小さい時からコンピューターに触れるきっかけはなんだったのですか?

O:「赤ちゃんの時から機械が好きだったよね。いいことかどうかわからないですが、私たちは子が小さい時から北九州のビエンナーレとか、家族で色々なところに一緒に移動する仕事が多かったんです。搬入とか搬出にも置いていくわけにもいかないので連れていって。そうすると子どもが出先で手元で遊べるおもちゃが欲しくなったりするのです。出張先で携帯にすごく興味を示して、その時はガラケーだったんですが、それでも音が出たりカメラ機能が付いてたりしていて、それをいじってずっと遊んだりして。それを見た美術関係の友人たちが面白がって、いらなくなった携帯を息子にくれたりして、家にたくさん要らない携帯が集まってきて。それを夢中でおもちゃとして遊んでいるのをみて、息子は機械が好きなんだなと思った。他には鍵が好きでした。鍵を開けたり閉めたりするのが好きで鍵を集めてた。その後はコンピューターのセキュリティーに興味を持ちましたね、それはもともと鍵が好きだからかなと思ったり。それで、3、4歳の時にはもうパソコンのソフトで遊ぶようになってました。今はそういう子も多いでしょうね、赤ちゃんの時からiPadなどで遊んでいる子が多いから。幼児の頃からソフトで絵を作ったりビデオ編集などしているのをみていたので、6歳ぐらいの時にプログラミングというのがあるんだよ、と教えました。出張先の京都で息子の移動の暇つぶしに古本を買おうと思って、そこで、そろそろ理解できるのかもと思って簡単プログラミングというような本を見せたら、それで一気にハまってしまい、今に至るという感じですね。そういう、こどもの頃からのプログラミングへの興味については東京都現代美術館の「ここはだれの場所?」でもビデオや作品で展示しました」

O:「もともと素養があったのかもしれない。幼い頃、これはADHDや発達障害的なところがあるなと思ったのだけれど、そういった子の一部にはプログラミングが合っている子がいるのだということを本で読んだことがあって。特性があるならそれを生かして得意なことに没頭できるのも良いだろうなと思って勧めたのもある。まんまと一気にはまって、その出会いはすごく良かったですね。プログラミングが好きになって、それを通じて学校ではない外部の人と大人でも子どもでもたくさん知り合いができました。子どもは学校が生活のほぼ全てになってしまうので、そこでうまくやれない子は、ものすごく孤独だと思うんですよ。彼も小さい頃は学校で友達ができにくかったから、それはかわいそうだなと思ったのだけれど、でもプログラミングがあればイベントに行ったり、学外の人間の刺激を受けたり、そこで自分の居場所を作れたと思うので良かったです。」

− そういうお子さんに育って欲しいと思っている親御さんもいると思いますが、自然な流れでそうなっていったのですね。メディア芸術祭で新人賞を受賞されてますよね。

O:「あれは応募した時、派手さもないし難解だし、一般的に理解されやすい作品かどうかわからなかった。多分全体で4〜5000件の応募があったと思うのだけど、それだけ応募が大量だとすると、最初は運営の中の人がまずはある程度の数までザクザクと振い落としてるんじゃないかなと思ってたし、派手なアプローチのないものは一次に受かるのも難しいと思っていました。でも興味あるなら応募してみたら〜という感じで。でも1次審査に通った連絡が来た時には、これの作品の良さを理解されているのなら、先までいけるかもと思いました。あの作品にピンとくる審査員でなかったら、決して派手なアピールのあるものではなかったし、見落としちゃうと思う。そもそも本人が日常で作ったものをメディア芸術祭に出そうと思ったのが、すごいよね。」

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[「I’m In The Computer Memory!」,(2018年), 会田 寅次郎, メディアインスタレーション, コンピュータの中で動作しているメモリを視覚化し、その中を探検する参加型インスタレーション。鑑賞者はタッチパネルでメモリの中を探索し、その様子は目の前の大きなスクリーンに映し出される。リアルタイムで動作しているメモリの中の様子は四角形のブロックで表示されており、その間を探索していく。メモリ内部に何らかの情報がプールされていることを視覚的に知ることができるが、その内容やそこにある理由を知ることは難しい。鑑賞者は本作を通じ、日頃使用するコンピュータのなかにある、不可視の世界を感じることになる。本作のソースコード(プログラム)はソースコード管理サービスを通じてインターネット上に公開されている。(第21回文化庁メディア芸術祭新人賞受賞作品) © 2018 Torajiro AIDA]


— その時は何歳ですか?

O:「15歳です。高校一年生でした。作るきっかけは、その時所属していたコンピューター部の文化祭の展示に出そうとして制作を始めたんです。」

− 岡田さんと会田さんが作品を見られてどんな印象ですか?

A:「僕はね、良くわからん。このままやっててくれと思って・・・」

O:「私もわからないのですが、自分がわからないのがすごいと思って。どうしてあんな発想になるかもわからないし、自分が作れないものを作っている人が身近にいるのは、楽しいなと思いますね。制作しているものに何か言ったりすることは、ないです。ただ仕上げの段階は、鑑賞者として意見は言いますけど。ここは文字もっと読みやすく大きい方がいいんじゃないのとか、お客さんはここのところわかりやすく作らないと使い方がわからないと思うよとか。」

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[会田寅次郎,(2014年), PyCon JP 2014,「The Esperanto Generator」の発表]

− 岡田さんと会田さんでもわからない感性と感覚の世界があるのはすごいことですよね。

A:「(メディア芸術祭に出したものは)パッと見ただけだととてもつまらない。動きのとても少ないもので」

O:「だからむしろ目立ったんだろうね。内容の説明を聞くと面白い作品だと思いますね。コンピューターのメモリーの中を可視化して、そこを自分が探索しながら旅をすることができるという。不思議な仕組みだよね。」

− こうした寅次郎さんとの時間が作品に影響したところはありますか?岡田さんは出産から教育まで作品のテーマになっていますよね。会田さんはどうでしょうか?

A:「気がつけば自分の作品に社会的責任のようなことが昔よりも増えたな。息子が、というより、自分が父親になったという自覚が無意識レベルに作用しているようなところはあるんだな、というようなことでしょうか。」

− 岡田さんが話されているように女性アーティストがお子さんがあってもやれるということが、今はもう少し増えていると思いますが、世界で女性が平等に扱われているのかが124位の国ですから、岡田さんがやってこられたことがもっと広がると良いなと思います。

− 次の会田家というのはどうですか?

A:「基本的には、ないと思っています。自発的にやることはなくて、もしどこからか話がきたら、その時に考えますが、まずはもう話がこないとも思うし、きても断るかもしれません。」

O:「おじいちゃん、おばあちゃん、おじさんになったら来たりしてね。」

− 今度は会田さんの方から話がくるのではなくて、寅次郎さんの方から会田家に出てくださいとそっちから来るかもしれませんよね、逆転して。

A:「普通に考えて、会田家とかいうのは子どもが18才までだと思いますけどね。もう独立!」

O:「そもそも彼はこれから何者になるのか。逆に心配・・・」

A:「もう独立!」



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[会田家, (2018年), AI美芸研にて]



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