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「社会の枠にとらわれない内なる感性、天心爛漫さをゆっくり見守る」 山伏でアーティストの坂本大三郎さん(後半):クリエイティブ・ペアレンツへのインタビュー第10回


暮らしの一部としての自然体験は、心の風景の記憶となる宝

—コロナ禍が全国的に広がる中で、山形での娘さんとの暮らしにはどのような変化がありましたか?

「コロナ禍初期は、妻の妊娠初期と重なっており感染のリスクを考慮して、保育園には自主的に行かせないようにしていました。妻はしばらく安静にしていた方が良いとのことだったので、2ヶ月くらい、私が家事と娘の面倒を見ていました。娘とは散歩に行ったり、近所のお年寄りの家に行ったり、あとは身体を動かすのが好きなので、追いかけっこしたりして、できるだけ一緒に遊びました。泳ぐのも大好きなので、夏に海に行くと、まだ浮き袋を使ってはいますが、ひたすら泳いでいました。」

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− 奥様の体調に気遣いながら、家事全般とお子さんの世話をするのは、大変だったでしょうね。その大変さを引き受けられるのは、一昔前の男性観、夫婦観とは違いますね。体を動かすのが好きな娘さんと海に行かれた話が出ました。

− 山伏としても日常的に山に入られる大三郎さんですが、娘さんを連れていかれることはありますか?

無理に連れていくようなことはしないようにしています。僕が入る山は、年に何度もツキノワグマに遭遇するような場所なので、娘にはまだワイルドすぎると思っています。「一緒に行きたい。」と話すこともありますが、「クマに食べられちゃうからもっと大きくなってからね。」とか話します。しかし沼でボートに乗って魚を見たりはします。魚の動きは、今の娘の目には追いつかないこともありますが、じっと見て探しています。これは単純に自然と遊ぶ第一歩だと思います。近くには、田んぼや川もあるので蛍を見に行ったり、カエルの声を聞きに行ったりもしています。」

− ニューヨークのバード・カレッジに併設されている幼稚園では、雨や雪が降ったり、暑くても寒くてもどんな天候でも、その天候に合わせた服装にして毎日必ず外で過ごす時間を取っていると園長さんが話していました。バード・カレッジも木々も多く、ハドソン川沿いで自然豊かな谷間にあるのですが、野生がそのままな自然ではなく、ある程度人の手が入った子どもたちを守れる自然環境をベースにしていました。何事も無理強いせず子どもの成長に合わせて導いていくことが、ポイントですね。野生が溢れる自然を体験し知っている大三郎さんだからこそ、自然へのアプローチの加減も大切にされているのだと感じます。また、ボールを蹴って遊ぶような動くものを追っていくことは、子どもの成長にとても良いと言われていますが、魚の動きをじっと見ていくことは、動体視力を育てるだけでなく集中力と生き物への共鳴する感が養われます。しかし、ホタルを見たりカエルの声を聞くことは、都会ではわざわざどこかに行かなければ得られない体験となってしまっています。大三郎さん一家にとっては暮らしの環境の一部としてある体験なので、娘さんの心の風景の記憶となっていくことでしょう。それは、宝物だと思います。

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子どもが自然に表現するプロセスは不思議があふれる独自の世界

− 家の中ではどのようなことを娘さんはされていますか?

「家では、音楽をかけると、勝手に踊り出したりします。踊るのが好きですが、絵を描くのも好きです。人を描くのに片側だけ髪の毛を描いたりします。妻は反対側も描いたらどう、とか話しますが、私はそれは娘が今認識している世界や身体性だと思うので、そのままで良いと思っています。今の段階で、大人の目から見た当たり前のことにはめ込んでしまうと大事なところが削られてしまうと思うからです。そうした添削作業はもっと成長してからおこなえば良いと思いますし、成長してからも幼少期に把握していた世界観や身体性をどのように自らに保存していくかは、創造性にとってとても大切なことであると考えています。人を描くのも顔を描いて体を描いてそれに抽象的な塊を描いているので、「それ何?」と聞くと「ママだよ。」と答えます。またある時、喋りながら描いていたのですが、その喋りもモヤモヤしたもので、言葉のようですが、意味がない音のように聞こえました。娘のこのような描き方はとても興味深いです。」

− イラストやドローイングを描いているアーティストでもある大三郎さんだからこそ、物事をそっくり描くことよりも、独特なポイントの描き方に興味があるのでしょうね。アーティストが無理やり頭を使って独創的に描くのとは異なり、子どもの中から自然に生まれて来る独創性は、野生の一つを感じることにもつながるのではないでしょうか。

「また娘は時々即興で歌うのですが、目に映ることを言葉に次々に歌にしていくのです。子どもがやりたいことは、危ないことでない限りダメといわないようにしています。iPadでYouTubeを娘が見ていると、小さい時からそんなもの見ていて大丈夫なのかと心配する人もいるのですが、電子仮想空間を通してでも自分の中の自然が、揺れ動いていていたりします。自分の内の感覚は、色々なことに揺るがされて、ニョキニョキと伸びていきます。自分たちが子供の頃は漫画やゲームが大人から眉をひそめられるものでしたが、自分が子供の頃のことを思い出せば、そこからとっても豊かな世界を受け取ってきた実感が自分にはあります。」

− 決められた言葉でもなく、決められた歌でもなく、自らの内から湧いて来ることをそのままに描いたり、音にしたり、歌にそのままできることは素晴らしいですね。社会の枠に沿ってしまわない内なる感性を自然に表していける天真爛漫さを見守れることは、なかなか気がつかないかもしれませんが、親にとっては忘れかけていた感受性を開けるきっかけともなりますね

私が訪ねたエミリア・レッジョのキンダーガーデンでは、子どもたちにこれを作りましょうというような完成形は決して見せずに、絵の具・粘土・布切れ・紙など素材を渡し、自分の思うままに自由に作るようにしていました。そしてその途中に子どもが話すことを保育士さんが書き取って、子どもが作ったものと書き取ったものが並べて掲げられていました。その二つをよく見ていると作っている時にイメージされていたものが少しづつ見えて来るようでもあり、途中経過が掛け替えのない独自の世界を生み出す表現であることを感ずることができます。親が簡単に一般化しない中で生み出されるこの表現は、大切にしたいところですね。

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ひとつの価値観に強制されない強さをいろいろな体験から育てる

「娘を連れて台湾や韓国に行きました。韓国では、集落の境界に立てられた柱の上に鳥がのっている鳥居の原型のひとつとも言われるソッテ、鎮守の杜といったモリの信仰との関わりが考えられるダンサンのある古い集落を一緒に訪ねました。また、台湾では、花蓮の街など東部を南下してアミ族など多くの台湾原住民が暮らしている地域を訪ねました。街中では、屋台や市場もあるのですが、それだけでも日本とは異なる空気と文化があります。成長するに従って、様々な価値観に強制されてしまうことも経験すると思うのですが、そうしたことに負けない強さを持ってもらいたいので、娘には小さい時から色々な文化や価値観に触れる機会をつくっています。また、人格を形成している段階で、山形だけでなく都市部の暮らしを経験してほしいとも思っています。」

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− 日本の文化のルーツを探っている大三郎さんにとって、このような韓国や台湾の先住民の地を訪ねていくことは、日本文化の探求を深く掘っていくことです。その中で開かれていく広がりと古くからの長い流れに触れて行く深く多様な価値からなる親のヴィジョンは、子どもの独自な世界を開き導いて行くのですね。

いいことも悪いことも責任を取るのは、自分自身であるから、自分のことは自分でできるだけやらせる

— ここからは大三郎さんが育った環境と十代で社会に触れた時に気がついた大きな変換点についてです。子どもは十代のある時、親に着せられていたものを全て脱ぎ捨てる。そしてまた自分で新たに着直す時は、親から送られた大切なものをまた着ようとするとも言われています。

「私の母は、満州で生まれ、終戦後「子どもは捨てていけ」とまで言われる中、祖母が苦労して幼い母を日本に連れ帰りました。財産も没収されずいぶん苦労したようです。そのため自分の子どもには同じ思いをさせないようにと、僕はとても過保護に育ちました。そして十代後半になって社会に触れると、自分が何もできないことにビックリし、愕然としました。子どもの頃は、何でも親にやってもらって、嫌なことは親のせいにできました。しかし社会に出てみれば、この世界ではそのような気持ちは、弱みにしかならないし、何でも自分でやらなければならないと、当たり前のことをと思い知りました。いいことも悪いことも責任を取るのは、自分自身である大変なことも自分で乗り越えていくしかないと強く自覚したのです。

ですから、娘には、自分のことは自分でできるだけやらせるようにしています。今だとやりきれないことも、もちろんあります。例えばパジャマに着替えるような日々のことも、可愛いのでついやってあげたくなります。しかし、その気持ちをおさえて、娘が自分でやり終えるのをじっと待ちます。」

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仕事場は山とする山伏だからこそ考える自然

「植物を観察していると日中は葉を広げて日光を体一杯に受け取ろうとします。夜になると葉を縮こませて眠っているように見えます。太陽や自然のリズムに合わせて日々を生きています。人間も太陽のリズムに合わせて、お腹が減ったり眠くなったりして、植物や獣たちと同じです。そう考えると自分自身が一番身近な自然です。しかし自然はわかりにくくもあります。東京などの都市部にも自然はあります。空や海があって。風が吹いていて木々が生えていて、季節の移ろいがあります。道路の割れ目からも草は生えています。山形が山々に囲まれているからといっても、車社会なのでほとんど歩くことがなく、一日の中で自然に触れる時間というものが都会に比べて特別多いのかどうか疑問に思うところもあります。例えば東京では電車で移動して、駅から並木の下を何百メートル、何キロも歩いて目的地に行ったりします。案外、都市部で暮らしている人の方が意識せずに自然に触れ合っている側面もあるのではないかと思うことがあります。都市部と山形のような地方の違いは、クマが出てこないことかな(笑)。都市部では自然の過剰な力が、極力、人間に害をなさないようにコントロールされています。その代わり車が突っ込んでくるかもしれないけど。」

堂山 松

−人工的な社会で多くを暮らしている人とは異なり、山という野生そのものが生きる場で日々実践的探求をされているからこそ、自分自身が一番身近な自然と言い切れ、自分自身を自然のベースと言えるからこそ、都市部も自然であると言えるのでしょう。山形であろうと都市部であろうと、自分しだいということです。さらに自身が自然に生きるということを達観する話が続きます。

自らの人生を自分で選べないと感じる自身の内にある自然

「そうは言ってもジャングルなど野生の強い自然の中では、湧き上がってくるエネルギーをもっと強く感じます。近代以降は、情報伝達技術や鉄道などの交通網が発達して、より便利な、暮らしやすい生活に人々が惹かれて、結果、人が都市部に集中して集落共同体が崩壊したり、山野に人手が入らなくなって荒れてしまうこともありました。東北の山深い集落では、そうした技術の発展や合理性にさらされながらも、古い知恵や技術を伝承してきた地域が残っており、もちろんそれはそのままの形であるのではなく、断片的に古い由来を持った文化が残されている場合が多いのですが、それらを自分の中でつなぎ合わせてみると、ひとつの世界観、かつての人たちの暮らしぶりが見えてくるような気がしてきます。現代は分業化が進んだ社会ですが、山奥では自分のことは自分で何とかしなければならない場面が頻繁に訪れます。お腹が減ったからと言ってもウーバーイーツは頼めません。自分で食料を採取して、自分で獣を解体して、自分で火を起こして……、そうした分業化される以前の生活に触れながら、芸術や芸能や文化というものを捉え直してみたいと私は思っています。なんでそんなことをしているのかと問われれば、面白いから、興味があるからとしか言えません。ただ、仏教には縁起という考え方がありますが、個人的な欲望は、多くの人や物や事との関わりのうえで生まれているもので、もしかしたら社会の無意識のようなものに影響されているのかもしれないと思うこともあります。『自分の人生というものは自分で選べない』とも感じていて、暖かい南の海が好きな自分が、雪深い東北の山で暮らしているのは合理的に考えれば自分でも不思議に思えてきます。こうして興味を持って自分が実践していることが、いつか何かのかたちになるかもしれません。それは自分の手によるものではないかもしれませんが。自分がやっていることが無駄なことだとしても、文化とはそうした無数の無駄の屍のうえに成り立っているものなのだと思います。」

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− 大三郎さんは、「いいことも悪いことも責任を取るのは、自分自身である。」という気持ちを強く持ちながら、都会から山形に移り住み、日々山に入りながら山伏という独自の道を歩まれてきました。一方で「自ら人生を自分で選べない」と実感するある種の運命、それは共同体の無意識に影響されてここまできたという大きく開かれた中での巡り合わせを受け入れられています。インタビュー前半で話された根拠のない自信と自己肯定感の根が育っていれば、自分自身の想像を超えた世界を拓いていくことに導き導かれていくという、壮大な冒険の道を自然に歩んでいけるのだと伝えてもらっているようです。


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