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【うつ】けんかの仕方が分からない。

けんかの仕方を習って来なかった、と思う。

けんか、と言っても、お皿を投げつけたり、怒鳴ったりする事ではない。
適切なやり方で自己主張をすることなのだが、ただそれだけの事に慣れていない。

自己主張することは、これまでハードルが高かった。
あーあ。
いったい、それで私が生きた、と言えるのか。
どれだけ自分に失礼な事をして来たのだろうかと思う。

そんな自分をなんとかしたいと、ここ数日、痛切に思われる局面に立っている。

いまどうしても決着を着けなければならないトラブルを抱えている。これを避けては前に進めないほどの深刻かつ重要な案件なのだ。なのに言いたい事が言えない自分に何とも言えない歯痒い思いでいるのだ。

しかし、視点を変えて見てみると、これはもしかしたら「課題を解決しなさい」と神様がチャンスをくれている、と考えてみるのも面白いかもしれない。


よく夢想する。
相手の目を睨みつけて決戦を挑む私。
ああ、胸がすくようだ。
しかし、現実は自己主張することを恐れ、躊躇いながら生きてきて、ずっと不自由だった。

そうなったのは理由がある。

生まれた家で、自分の気持ちを表現して受け入れてもらった経験が無いので、他人が私の発言に耳を傾けたり共感する事は無いだろう、という大いなる勘違いをしてきたという経緯がある。

その思い込みは、就職してから覆された。

職場の上司や先輩が私の無口で大人しい行状を見て口々に言った。

「言いたい事を言えよ」「きみは子供の頃からそんなに引っ込み思案だったのか?」「喋らないと、あの娘は何を考えてるんだろうと人は思うよ」

いま振り返れば、その職場は、私への興味と関心、思いやりに溢れていたと思う。

言いたい事を言っても怒られないんだ、むしろ歓迎されるんだ。

私の事を知りたいと思っている人がいるんだ。


しかし、私の強固な思い込みが溶けるまでには、それから長い時間を要したのである。

いちど不自由の中に自分を閉じ込めると、そこから急に出られないものだ。

ところで。

子供のころ、私の周りには怒っている人がいっぱい居た。
私の両親とその兄弟姉妹たちだ。
家父長制度の犠牲になった彼や彼女たちのあいだには、不満や怒りが渦巻いていた。

お盆の帰省時や葬式の席で、その怒りは爆発した。
そんな時ぐらいしか親戚一同が会する機会がない。

私は見ていた。
父方の兄弟姉妹は気性が激しい人が多かった。
目に強い怒りを滲ませて無言で何かを語ろうとする人。
泣きながら、寝床についている私を起こして、恨みつらみをぶちまける人。
ふだんは無口な人や穏やかな人まで、人が変わったように感情的になっていた。

小さい私は怖くて身震いした。

しかし、今は分かる。
感情を出すことは自分を大切にすることだ。とても健全なことだ。

怒りの感情を押さえつけると、ほかの感情も感じられなくなって、喜怒哀楽がぼやけて鬱になる。

子供のときに見た親戚の人たちは、抑えていた怒りを出すことで、奪われた権利を奪還するための真剣な戦いをしていたのだ、と今は理解できる。

怒ることは、自分と自分の人生を愛するための戦いだ。

私の人生の課題は「怒ること」。
それが私にいちばん欠けているところだ。

怒りを適切なやり方で表現すること。
それが自分を愛して、自分の人生を全幅に生きて、さらに、うまく自己主張しながら自分にも周りにも誠実に生きる道なのだろう。

そのとき初めて自分を生きた、と言えるのだろう。

この神様がくれたこのチャンス、無駄にしないようにしよう。

ここが正念場。


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