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【うつ】恋愛依存症のことなど

昨日、私がむかしパートナーと作り出した共依存の関係のことなど、古い話を書きました。

その後ふと思い出した事を付け加えたくなったので、もうちょっと書きますね。

共依存関係のはなしは続きます。

二十代の私はまだ心理学も知らなくて、
苦しい事がつぎつぎ起こる人間関係について、説明する言葉を持ちませんでした。
人生は苦しいものという子供の頃からの人生観をさらに補強するような出来事がつぎつぎ起こりました。

そのとき本が私を啓蒙してくれました。
その頃ベストセラーになった本に
「愛しすぎる女たち」(S・フォワード著、落合恵子訳)がありました。心理学の先進国アメリカでもセンセーションを巻き起こした本です。
そのあと山本文緒さんの直木賞受賞作「恋愛中毒」を読みました。

三十年も前でインターネットやSNSも無かったですから、その頃は本からの情報が全てでした。
そのとき恋愛依存症という言葉と症状、その心理と原因などを知り、自分もそれに該当することを知りました。
そして恋愛依存症に苦しんでいる女性がこんなにいることに驚きましたし、病気だったら治すことも可能かもしれないと、希望が出てきました。
その頃はまだ依存症の治療法も確立されていなかったのではないでしょうか。


スピリチュアル系の本とも出会いました。
「母なるものと一体化しようとする試み」

依存症のことを、そんなふうに表現した言葉に出会います。
たしかに依存対象を求める行為は、愛の欠如を埋める行為でもあります。

こんな言葉とも出会いました。
「起こる事はつねに正しい」
「すべては上手く行っている」

スピ系の人は聞いた事があると思います。
どんな不本意な出来事や人間関係でも、そのときにはソレが必要だから起こっている、という意味かと受け取りました。

この二つの言葉は、宝石光線療法の本で見ました。石の発するメッセージとして言われていました。
その時は意味がわからず、何のことか?と思いましたが、今はわかります。

依存症の当事者は少しでも苦しみを軽減させるために、こころと身体にぽっかり空いた空洞を埋めるための依存対象が必須なわけで、すべて生きるために突き動かされるように、やっているのです。 
依存行為は、起こるべくして起きているのです。

「私たちはドンピシャリのタイミングでドンピシャリの場所にいる」

この言葉もスピ系の著者の自己啓発書で見ました。
付き合っている人も、いま居る環境も、いまの自分と寸分違わず鍵と鍵穴がカチッと合うように出会ってるという事を言っているのだと思います。
この言葉もよく分かります。

書いていると、その頃のことを思い出して苦しくなります。

そのとき私は愛を外側に求めていました。
一番ほしいのは愛だけど、愛が信じられないから手に入らない、という矛盾に身悶えしてました。

ところで。
あそこから現在地まで、私はどうやって辿り着いたのでしょう。

心理療法は十年余り前からトラウマ療法が開発されて飛躍的に進歩しています。

他人に人生のハンドルを握られて翻弄されていた状態から、すべて自分がやっている、という視点で見られるようになると、うんと楽になります。

枯渇していた自己愛も復活します。

スピリチュアルは人生を達観する叡智かもしれない。だけど人生は短い、そんな悠長な事ばかり言っていられない。心理療法を受けて残りの人生を自由に楽しめるように、少しでも早くそうなったほうがいいと思うよ。

いまは依存症は治せるよ。


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