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【愛着障害】慈悲の雨は降り注いでいる

私は何かにつけて、きちんとしたい、という癖があって、きちんとまとまった形にして出そうとしていましたが、最近は、きちんとして無くてもいいか、思いつくまま書き散らしてもいいかの方向に変わってきています。

ハードルを下げて、とりあえず60点をクリアしていたら出してもいいか、のつもりで気楽に書いたほうがするする書けて、スキの数もたくさんついたりすることがあります。

あら不思議、こんな雑談に? 

楽に書くのと、苦労して書くのと、もしかしたらエネルギーが伝わるのでしょうか?

同じインプットした事をアウトプットする作業でも、役に立つことを書かなきゃ、というより、最近感じていることをシェアするつもりで書くことがずっと楽だし書きやすい、それどうしてかな?と考えてみると、うまく伝えようとする方が変なところに力こぶが入っているからかもしれません。

変なところ、って、どんなトコロでしょう?

まあとにかく、いまの自分から出てくるものを信じれば、いいのではないか、と。きちんと、にこだわらなくても。

そうそう。

愛着が安定した人は慈悲深い、という話をしようとしていたのでした。

さいきんの私、喜ばしいことに、緊張感から解き放たれてきて、見逃していた豊かさに気づくようになりました。豊かさって物質の豊かさではなくて、別の豊かさです。


むかし心がプアだった私は、身体が警戒モードになっていた時があって、誰もが心許せない人になってしまっていましたが、最近は身体が緩んで、人を見る目が変わりました。

むかし出会ったあの人もこの人も私に優しくしてくれていた事に気づくようになりました。今ごろ、といえばそうなんですが、気づかないより気づいて良かったと思います。 

優しい、といってもべたべた世話をするという訳ではなく、耳に痛いことも一杯言われましたが、決して見捨てたりはしませんでした。

その時は、世界と人を見る私の目にシャドーがかかっていましたから、ほんとうに優しい人は誰かを見抜くことは出来ませんでした。厳しい人を優しい人と勘違いして近づいていました。自分と同じ波長だからでしょう。そして優しい人を遠ざけていました。

愛着が安定している人は、慈悲深くて簡単に人を切り捨てたりしません。愛着が不安定な人のほうが、自分にも他人にも厳しいです。厳しい環境をサバイブしてきたから、当然そうなりますよね。

愛着で思い出すのは、大阪で出会った二人の上司のことです。おなじ部署に、部長と課長のまったく違うタイプの二人の上司がいました。

課長は、できる子しか育てたくない、というスタンスの上司でした。ちょっとニヒルな文学青年タイプの人で、当時の私はその陰りになんとなく惹かれていました。部長は、できる子もできない子も一緒に育ててくれる寛容さのある人で、課長とは真逆のタイプの人でした。

その時の私は課長派だったのですが、いま思えば部長について行くべきでした。愛着の大切さを知るようになったいま、この二人の上司のことをしきりと思い出します。

いまは、この課長は裁判所の検事みたいに厳しいと思います。「虎は子どもを谷底に突き落として、這い上がってきた子どもだけを育てるんだ。おまえなんか知らん」と課長に見捨てられてウロウロしていた新人の男の子がいましたが、部長がひろって面倒を見ていました。新人の教育は部長の仕事ではないのですが。この課長にとっては、人生は厳しいところ、なのでしょう。

今ごろになって気づいたのは、部長の慈悲深さです。仕事は好きだけど誰とも友だちになれない私に、「きみは表現力があるから」「一人でも話せる人がいればいいから」と言い続けてくれて、最後まで否定しませんでした。もちろん厳しい指摘もいただきましたが、灯りを消すようなことは決して言いませんでした。

愛着の安定した人は、寛容かつ慈悲深い人です。あの部長はそういう人でした。

幼少期にうちの子だからかわいいと無条件の愛を注いでもらえた経験があれば、自分は両親にとってのかけがえのない子供なんだと信じられるようになるでしょう。そして、情緒が安定した人になるでしょう。部長は「お母さんに可愛がられた」と話していました。

三十年も前の昭和の話です。

これまでも慈悲の雨はいたるところに降り注いでいたけど、私が気づいていなかっただけかもしれません。

そして、私が気づこうが気づくまいが、これからも慈悲の雨は降り続くのでしょう。

こころの豊かさは、いたるところにあるのでしょう。あなたや私が見ようと思えばいつでも。


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