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【うつ・AC】罪悪感について

親の愚痴の聞き役になってきた、という人はけっこう居られるんじゃないでしょうか。

相手はお母さんで、あなたは娘なんじゃないですか?

母親の感情の面倒を小さい娘がみるのは、役割が逆転しています。

子供に感情の面倒をみさせるのは、機能不全の親です。

そういう親のいる家庭では、子供の安全は守られていません。


私の母は被害者意識の強い人で、父や親族、近所の人、テレビに出てくる人の噂や悪口を言うことで自分を慰めているかのような人でした。

悪口はおもに嫉妬や自分の不満からくる憂さ晴らしだったんでしょうけど、私はそんな母の、愚痴の聞き役で慰め役やっていました。

やらされていた、と言うより、自らすすんでやっていた、と思います。

いま思えば、母は私をゴミ箱役にして都合よく使っていたんでしょうけと、子供の私はお母さんが大好きなものだから、「お母さんがかわいそう、私が守らなきゃ」と健気に振る舞っていました。

子供は母親に愛されるためだったら、何だってするんです。

しかしそれにしても、アホらしい役を引き受けたものです。

愚痴の聞き役は私が社会人になってからも続き、三十代の半ばで私が「いい加減にして!」とブチ切れるまで続きました。


その時の影響なのか、私には人が困っているのを見ると率先して助ける側にまわるクセがあります。

日常の中で無意識に、人の窮地を察すると空かさず助け舟を出している自分が居ることに気づいて、あ、またやっている、と。

確かにフォローをできるのは気遣いができて良いことですが、自分の責任の範囲ではないことにまで手を出しているのは、如何なものかと我ながら思います。

ある人が自分でやらかした失敗の火消し役を、私がした事があります。 

そのとき周りには失敗をなじる人も居たから可哀想になって、これは私の出番だ、私が助けなきゃ、と奮い立って何とか仲裁をしたのです。

ですが、いまは、私がそこまでする必要があったのか、いや、やり過ぎだった、と反省をしています。

その失敗をやらかした人は、見かけはプライド高き大の男ですが、日頃から慰め役を必要としている心弱き人で依存的でした。

イエスマンを周りに侍らかせていて、常に称賛を求め、自分を大きく見せるのが得意でした。

一人前では無い訳です。

共依存傾向のあった私は、こういう人を見ると、「かわいそう、私が助けなきゃ」と無意識に反応してしまう癖があったようです。


この「かわいそう、助けなきゃ」癖が発動するのは、子供の時の母との関係が原型になっているのでしょう。

弱い人は、相手の罪悪感を引き出すのが上手いのかも知れません。

「私、こんなに困っているのに、何もしてくれない貴方は酷い人ね」と言われているような気がして、つい手助けしてしまいます。

彼らは弱いふりをして、相手の罪悪感を引き出して、相手を自分の思い通りに操るのが上手いのかも知れません。

こちらは罪悪感をうまく利用されて、操られていたんじゃないでしょうか?

そんな事をふと思ったので、書き留めておきたくなりました。


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