「正解はありません」
空想癖のある子供だった。
ここじゃない何処かへ行きたい。そういう願望は常にあって、日常生活の底に常に流れていた。私は、生活することに貪欲になれない、地に足のつかない人だった。それは、私を現実の生活につなぎ止めようとするパートナーがいた時でさえ、変わらなかった。
遡れば幼年時代からあった。
3歳の頃。祖父が汽車を見に連れて行ってくれた駅で、SLが黒煙をあげ、警笛をならして近づいてきて遠ざかっていく姿を見送りながら、私も遠くの街に連れて行ってほしいと願った。
まだ見たことのない世界を見たい。
ここではない、何処かへ行きたい、と思っていた。
思春期。田舎の家の古臭い因習がイヤだった。何処か遠くへ行きたかった。自由になりたかった。有限な肉体の中に閉じ込められている自分を、せめて精神の世界で自由に開放してあげたかった。
遠い旅に憧れて、現実の生活が疎かになりがちだった。
こんな自分のことを心理学に結びつけて、愛着のキズが私を放浪に駆り立てるのか…と分析してしていた。
そして、規格サイズに収まらない変わり者の自分を自分でもてあましていた。私って何でこうなの、困った人だと自分で自分を責めていた。
ところが、さいきん西洋占星術をかじり始めて、私は元々こういう人だったんだ、ということを教えてもらった。ただホロスコープの通りに生きていたんだということを知った。
不完全と思っていた、この私で完成形だったのだ。
欠点だと思っていたのは、個性にすぎなかったのだ。
じたばたしても、もうこの自分いがいの自分にはなれないのだ。
占星術は私に新しい視点をくれた。
私はすき好んでこの顔、この身体を選び、この性格、この人生を選んできたとしたら、もう誰のせいにもできないじゃないか。
自分をかわいそうな被害者のような気がしていた。自分を被害者にしておけば、責任をとらなくていいし、人のせいにできる。
気がつけば、被害者ポジションでいることで、自分の力を放棄して、他人に力を与えているだけじゃないか、私のやってきたことは。
創造的であるためには、力を取り戻さなければならない。私はもう被害者ではいられない。
正解を外に求めていた。誰かの言う正解に縛られてきた。学校の先生は言った。「元気があってよろしい」「友だちが沢山いてよろしい」
元気があって、友だちが沢山いる子が良い生徒なの?内向的で友だちのいない私は、変なんだろうか。
先生の望む生徒ではない自分は間違っているだと責めていた。その当時は。
今なら、人の言うことを真に受けたりしない。
それは、その先生の意見であって、その意見を採用するかしないかは自分の判断に委ねられていることを知っている。
自分のことは、自分で決める。
ひと目を気にする、なんていうことは生物としては有り得ない。どうしたらこの人たちは、喜ぶんだろう、なんてニワトリは考えない。
自由になりたい、と言いながら制約に囚われていたのは自分じゃないか。
あるボディワーカーの一言で、私は目が覚めた。
「頭で考えないで。身体が動きたいように動けばいいんですよ。正解はありません」
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