見出し画像

母が一晩中泣いたあの日の立場になった私

先週末、娘が大学進学のために家を出ました。

たぶん全国でたくさんの親御さんも、この時期子どもの巣立ちを見送ったでしょう。お子さんの巣立ちを喜ばしいと思っている反面、寂しかったり心配だったりもしますよね。

私の母も、私を送ったその帰りの船で一晩中泣いたそうです。そのエピソードを聞いていたので、「ああ、私もあの時の母と同じ立場になったのだな」と、しみじみ思いました。

子どもはいつまでたっても子どもなので、子どもが何かあったときにすぐ助けてやれない場所にいると心配ですよね。しかし、子どもは自分で何とかします。私たちも何とかやってきたのと同じように。

一晩中泣いた母

画像3

私は徳島県で生まれ育ちました。そして大学は九州の大学に進学。関西や関東に親せきはいましたが、九州にはいませんでしたので、親にとっても九州は「見知らぬ土地」だったでしょう。

私には姉がいて、当時すでに姉は家を出ていました。しかし徳島県内にはいたので、何かあればすぐに飛んでいけます。私が家を出ると、祖父母はいましたが、子どもは誰も家にいなくなります。しかも遠いところに私が行くので、母としてはよけい心配だったのでしょう。

大学のために引越しをするとき、両親は車で送ってくれました。松山ー北九州のフェリーを利用しました。

一緒に引っ越しの手続きや買い物を手伝ってくれて、そしてまた両親は車に乗り、フェリーに乗って帰っていきます。そのフェリーは夜に乗船し、朝に松山に着きます。母はその船の中で一晩泣いたそうです。

娘が引っ越した私は

画像2

娘の大学は家から高速で2時間くらいのところです。

長男はすでに家を出ていて、次男は家から仕事に行っていますが、近々家から出るかもしれません。しかし、娘がいなくなっても、まだとりあえず次男がいるので、私の母の状況とは違います。

それでも、今、娘と離れてみて、今までのように一緒に買い物に行ったり、一緒にふざけたり、深い話をしたりできないのかと思うと、じわじわと寂しいです。

特に私たちは、娘が不登校だったので、ほかの親子よりも一緒に楽しい時間を共有しています。その愛しい、宝物のような時間をもう過ごせないんだと思うと心がキュッとする感じです。

買い物に行って、娘が好きでよく買っていた商品を見ると娘を思い出します。いつものように私が仕事をしていたら、いつものように娘が2階から下りてくるような錯覚におちいります。

そのたびに、いつもそばにいた娘が、もうそばにはいないんだなと思い知らされます。

仕事があってよかった

画像4

この言葉は、母が私に言った言葉です。私と別れて、フェリーで一晩中泣いた母。しかし翌日からは仕事があります。泣いてばかりもいられません。

そして、その仕事のおかげで寂しさも薄れていったと言います。

私も、思いました。

「仕事があってよかった」

娘がいなくて寂しいけれども、仕事があるので、することがあります。もしすることがないという人は、これを機会に何か新しい楽しみを見つけてください。

今、離れて思うこと

画像5

娘の下宿先にはまだベッドが届いていません。ベッドのような大きなものを女の子なのに一人で組み立てられるんだろうかとか、嫌いな虫が出たら一人でどう対処するんだろうかとか思います。

しかし、もう18歳にもなっているのですから、何とかするだろうし、一人でできなければ誰かに手伝ってもらえばいいよね、とも思います。

しかも私が大学に入学したはるか昔よりも、今は考えられないくらいの情報社会。わからないことがあれば調べればどうにかなるでしょう。

心配の代わりに信頼を

画像1

ですので、子どもが手元から離れて寂しく心配もしている全国の親御さんへ。

心配よりも信頼を子どもに送りましょう。失敗しても大丈夫。失敗からでしか学べない大切なことを学ぶでしょう。私たちだっていろいろ失敗しながら学んできました。

心配というのは裏を返せば「あなた一人ではやっていけないでしょ」というメッセージです。子どもにとってみたら、ありがた迷惑。それよりは「あなたはもう一人でも大丈夫」という信頼のメッセージを送りませんか。