【読書ノート】「ここじゃない世界に行きたかった 塩谷舞 著」を読んで③~ final ~
本が集まる場所には思わぬ出あいがある。整理整頓された空間と静けさが漂う図書館。そこにある蔵書は、いわば膨大な時間と知識の蓄積で、そこにいるだけで、眠っている知性が覚醒してくる気がする。無数にある本の中から1冊を手に取る。それが自分にとっての「良書」となれば、それはもはや奇跡だ。デジタル本が主流になりつつあるが、やっぱり本は紙で読むのがいい。
これは、私が本に線を引きながら読む習慣があることが大きい。あとから見返したとき、その時の自分が共感したり、いいなと思った箇所が一目でわかる。今回読んだ本を改めてぺらぺらとめくってみる。
『私はもう、背伸びをし、強者のふりして働くのはやめた。自分の弱さを、ちゃんと許容した上で働くことに決めたのだ。弱くても強く生きられる。社会で生きるための「必勝法」にも、もっと多様性があればいい。』
人はみんな役者だ。親の前と友達の前での自分は違うし、お馬鹿さんのふりや、鈍感なふりをしたりして、自分を適宜使い分けている。ただ、この”ふり”が長期間に及ぶと、ふりなのか本来の自分なのか、その境目があやふやになり、その役を演じることが通常運転になる。 “しっかり者の長女”の私は、小さいころから運動神経も良く、勉強もできる優等生だった。両親を含め、幼稚園の先生や小学生からはじめたピアノの先生とバスケの先生、周りにいる大人は厳しい人が多かった。
私はどうやら期待されやすいらしい。その期待に応えようと、子供なりに“できる自分”を演じ続けていると、分からないことを「分からない」と言えなくなっていた。どんな“ふり”でも、度が過ぎると、それは大きな問題だ。私は自分をよく見せようと背伸びをし続けた結果、そのふくらはぎは何度も痙攣と収縮を繰り返し、ボロボロになっていた。大学時代に、就活をしない選択をしたのは、しっかり者の優等生に舞台からはけていただきたかったからかもしれない。闘いのリングから降りたような気持ちで、なんだか楽になった。
就活という闘いには勝てなかったが、私は負けたわけじゃない。競争社会にあって、生き残るために勝つことは大事だ。でも人生100年時代、いいときもあれば悪いときもある。「勝てなくても負けない」ことも大事だ。そして、最後に必ず勝ってやるぞと野心があるなら、なおのこといいじゃないか。
私は本の内容に関するレビューではなく、本を読んで感じたことをつらつらと文章にしてきた。人間は鏡のようだ。著者の素直な語りは、凝り固まった私の心も素直にしてくれた。もしこの本について、どんな内容なのかと尋ねられたら、「著者が見つけた幸せになる方法が書かれている」と説明する。本を閉じたとき、こんなシーンが思い浮かんだ。
「幸せを追い求め、奮闘し続けた戦士。しかし、その幸せはいつも彼のすぐそばにあったのだ!」
一見すると静かで落ち着いた雰囲気が流れる本だが、その端々には著者の“熱さ”が見られた。本を通した著者との対話はとても楽しく、多くの励ましをもらうことができた。挑み続ける人は、あらゆる経験を価値に変える。私もそうでありたいし、そうなっていきたい。
さて、次は自分が励ます側になりたい。茨木市で不登校の児童・生徒を対象としたフリースクールを開始するが、“しっかりものの優等生”ではない、ありのままの私が責任者として運営する。ここに至るまでには失敗も多く、傍から見ると無駄ばかりの遠回りのように見えるかもしれない。それさえも意味あるものにしていく…せめて笑いのネタに!
(※『』は引用箇所です。)
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