社長の仕事(その2)
桜がようやく満開に、と思ったら昨日の激しい雨が花散らしの雨になってしまいました。それでも今年はかなり長い期間桜を楽しめたように思います。
さて、新社長が多く生まれる4月ということで、前回から社長の仕事についてお話ししています。私が考える社長の仕事とは、以下の3つです。
向かう方向を指し示すこと
判断すること
範を示すこと
前回は、「1. 向かう方向を指し示すこと」についてお話ししましたので、今回は「2. 判断すること」についてお話ししたいと思います。
2. 判断すること
上でお話しした3つはいずれも社長の仕事として極めて重要だと考えていますが、中でも一番重要なものは、と聞かれれば、私は「2. 判断すること」を選びます。なぜならば、向かう方向を指し示すことができなければ、中期的にはその会社はダメになっていきますが、短期的にはそこまでの影響は現れません。船の行き先が明確でなくても、これまでの軌道に沿ってしばらくは進むことはできる。それに対し、社長として判断することができなければ、その影響は極めて明確に、しかも短期的に現れるからです。
判断すること。表面的には簡単に聞こえますが、実際のところ、そう簡単なことではありません。判断に必要な材料が全て揃うことはまずありえません。それなのに、よくドラマなどで、「判断できる材料が足りないから、揃えて持ってこい」なんてシーンがありますが、あれはダメな典型例です。
もちろん、あまりに情報がない場合(= そもそも担当者のやる気が疑われる)にはそういった発言もありうるのですが、ある程度情報が揃った上での上記の発言であれば、それは社長失格です。情報が足りない中で判断するからこそ、社長の仕事なのですから。
もちろん理論上は、(無限の)時間さえかければ全ての情報を揃えることは可能です。しかし、競合が70%の情報で既に判断してしまっていれば、そこには取り返しのつかない時間差が生まれています。競合が全く存在していなければ、徹底的に情報を集め、熟考して判断することは可能ですが、現実はそうではない。現実は、情報が限られる中で、競合よりいかに早く、より正しい判断をするか、です。
もとより、絶対的な正解などありません。ビジネスは常に動き続けている中で、これだけの材料を揃えたら必ず成功するなどということはありません。実際には、進めている中で、市場環境などにも影響されながら成功の確率は常に変わっていきます。
そういった中では、100%の情報を元に100%の正解を求めるのではなく、70%の情報をもとに判断し、その判断を正解にする努力こそが必要です。
もっとも、だからといって、判断のための情報を集めなくていいというわけではありません。可能な限り「より正解に近いであろう」判断をするための情報は集める、しかし、全てを求めるのではなく、適切なタイミングで判断する。それが社長の仕事である判断です。
結果的に、判断を早々に改めることもありです。つまり朝令暮改もあり。例えば70%の情報を元に、右と判断した。しかし、その後追加で情報が得られ、それに基づくと左と判断すべきと判断した。不完全な情報をもとにする以上、これはやむを得ないことです。当然頻繁にやりたいことではありませんが、社長の判断は、会社の行末を左右する最後の判断です。一度右と言ったから、それを変えるなんて自分の沽券に関わるとして判断を変えなければ、それは全社を(結果的に)誤った方向に導くことになります。
情報をより集めて、判断のタイミングを遅くすれば、それだけ朝令暮改の可能性を低くすることはできる、ただそうすると競合に出し抜かれる可能性が高まります。つまり判断するポイントの判断(笑)は難しいですし、だからこそ、他ならぬ社長の仕事なのです。誤解のないように補足すると、別に会社の全ての判断を社長が担う必要はありませんし、そうすべきでもありません。結果的に、難しい判断だけが社長に残されるということです。
早く判断して、必要であれば判断を翻す(結果的に朝令暮改と見られる)か、あるいは、遅めに判断して、競合に出し抜かれる可能性を甘受するか。私は前者を選びます。
会社の行末を左右する大きな判断をする上では、嫌われることを避けては通れません。社長だって人間ですから、正直嫌われたくはない。そして皆が右へ(あるいは左へ)行きたがっているのもわかる。そうなると皆の期待に合わせて、右へ(あるいは左へ)という判断をしたくなります。しかし、社長の判断は最後の判断です。そこで誤ったら(もちろん絶対的な正解がないように、絶対的な誤りもないので、誤まる可能性が高い、というのがより正確な表現です)、皆を、会社をしなくてもいい苦境に追い込むこともあります。皆の期待が右であったとしても、社長としての判断が左であれば、それを貫くべきです。
なぜか。それは社長の視野は異なるからです。もちろん皆には気持ちよく仕事をしてほしい、皆がやりたいことを叶えてあげたい。しかし一方で、皆が見えている範囲と社長が見えている(見るべき)視野は異なります。皆の視野では正しく見えても、より高い広い(例えばグローバルな市場動向ですとか、歴史からの学び、あるいは競合も含めた社長同士での交流、など)視野で見れば、実はそれは正しくないことは十分にありうることです。それこそ、良くも悪くも皆と同じ判断しかできないのであれば、それはそれで社長としての存在意義はありませんよね。
うちの社長は、しょっちゅう朝令暮改するし、皆の判断を尊重してくれない。そんな社長は皆にそっぽを向かれるかもしれない。どうしよう。しかし、朝令暮改しようと、皆の意向にそぐわない判断をしようと、社長として尊敬されることは可能です(私がどうだったのかは傍に置いておいて、笑)。
そのために必要なのは、判断に一貫性があることです。そしてなぜその判断に至ったのかをしっかりと皆に説明できること。
例えば、何かお客さまからの苦情があったとして、それに対し、会社の落ち度はないと判断した。そのため、誠意は尽くしながらも、お客さまからの要望には応じないことにした。ところが、お客さまの反応が強硬だった(例えば、弁護士に相談するとか、消費者庁に相談する、などなど)ため、急に弱気になって、お客さまに迎合することにした。こういった一貫性のない判断は、皆からあっという間に見透かされます。
一方で、会社に落ち度がないと一旦は判断したが、その後、会社側に一定の落ち度があることが判明した。そのために、(迎合するわけではなく)、対応を変えた。これは何の問題もありません。新しい情報が得られたことにより、判断が変わっただけのことです。この場合は、なぜ判断が変わったのかを明確に説明できるはずです。
偉そうに聞こえるかもしれませんが、弥生の社長としての15年間の中で、全て正しい(より正解に近い)判断をしてきたというつもりはありません。結果的には疑問符のつく判断もあったと思います。ただし、判断には常に一貫性があった、とは(概ね、笑)評価してもらえたのではないかと思います。例えば、それが一時的に会社として難しい対応を迫る結果になったとしても、お客さまに嘘はつかない、真摯に向き合う。
一貫性があった、ニアリーイコールで、頑固だった、とも思われているような気もしますが。
その3に続く
ある程度予想はできたことですが、その2もまあまあ長くなってしまいました。次が最終回、その3です。
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