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シュタイナー教育と守破離〜型にはまらない 型を超えていく

成長・進化には、段階があります

私はシュタイナー教育をずっと専門に仕事にしています。シュタイナー教育にはシュタイナー教育の「人間の成長」の考え方があります。その成長に合わせて教育をしているのがシュタイナー教育。人間の自然のあり方に沿っている、とても自然な教育です。自然に反していないから、人間が自分の力を存分に生かして成長できる。そんな教育です。

シュタイナー教育が私の専門なので、シュタイナー教育に結びつけて色々と論じます。でも、真実を言っているのはシュタイナー教育だけではない。世の中にいろんな理論やメソッドがあり、それぞれに、真実をみている。角度を変えて。


守破離

アジアの伝統に「守破離」の考えがあります。守り、破り、離れる。人間がものごとを習得し、成長する流れには、この「守破離」の流れがある。

シュタイナー教育でやっていることも、これに共通するところがあります。

模倣して学んでいく幼児期。
形にそって教えてもらう学齢初期。
→守

少しずつ、自分のオリジナルを出していく時期。
権威として慕ってきた先生に、反抗していく時期。
自分を探し出す時期。
→破

教えてもらったことではなく、自分のオリジナルを作りだす時期。
先生から離れて自立していく時期。
→離


シュタイナー教育は、幼稚園3年間+学齢期12年の15年間の教育です。教えてもらうだけでなく、自分が自分でオリジナルのものを作り出し、クリエイティブな生き方をできるようになるまでを教育していく。守だけで終わらない。離まで育て上げるのがシュタイナー教育です。


シュタイナー教育ならではの美しいもの

私はシュタイナー教育が好きです。シュタイナー教育には、美しいものがたくさんあります。たとえば、ぬらし絵。フォルメン。オイリュトミー。ヴェイルペインティング。そして、シュタイナー建築。

シュタイナー教育ならではの、美しい手仕事があり、いかにもシュタイナーっぽいことがあります。

それはそれで美しい。

子どもたちが、こういういかにもシュタイナー教育的なぬらし絵をしたりフォルメンをしたりすることには、成長のプロセスに沿った大事な意味があります。


これからのシュタイナー教育

今まで、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本のシュタイナー学校のようすをみてきました。完璧なシュタイナー学校は、どこにもありません。どれも素晴らしいけれど、どれも、まだまだ改善の余地があります。まだまだ成長の途中です。

それぞれに問題点はあるけれど、ひとつ、大きな問題は、現代の状況は、シュタイナーがシュタイナー学校を始めた100年ちょっと前と全く違うということ。子どもたちを取り巻く状況が違っていて、私たち大人も違う。

そんななかで、「シュタイナーはOOと言った」と、シュタイナーの言葉に忠実になろうとする先生がいる。シュタイナー学校の伝統を、忠実に守ろうとする先生がいる。

それは否定することではない。でも、今の現状があり、シュタイナー教育の本質があり、では、今、何をしていったらいいのかを考えることが大事なのです。シュタイナーの言ったことを、そのままやみくもに従うことは、シュタイナーの望んだことではない。

シュタイナーが言ったことを大事にすることは、本質を掴もうとすることです。

ただ、シュタイナーの言ったことに、ただ従おうとする人は、人智学に反する人でもあります。パラドックスみたいですね。でも、そうなんです。


アントロアート

アントロ的(アントロ=人智学=シュタイナーの思想)なアートがあります。いかにもアントロの、ぬらし絵やパステルやヴェイルペインティング。その絵をみただけで「いかにもアントロ」とわかるアートです。

シュタイナー教育をしている人たちには、もともと芸術を学び、シュタイナー教育の世界に入っていった人たちがたくさんいます。

そういう人たちも、多くが「いかにもシュタイナー」な絵を描き、教えています。子供たちに教えるのは大事なこと。でも、自分独自の表現をやめてしまい、典型的なぬらし絵を教えることに終始している人も多いです。守破離の守の部分に終始しているひとたち。

自分というものがそろそろ出てきていいんじゃないか。型を破って、自由に自分ならではの表現へ進むことが人間の進化なんじゃないか・・・と私は思いますが、どうでしょう。型を徹底的に体験し真似したあとの、自分のオリジナルを創造していく段階へ。

アントロっぽくない「アントロ・アーティスト」が世界にはいます。数少ないけれど、アントロの本質を身につけていて、自分なりの表現をオリジナルで作り出しているひとたちが。みた感じ「アントロ・アート」に見えません。でもそこには、ゲーテの自然観察の基本があり、アントロ的世界観があらわれている。基本をとことん体験し、「守」の部分を徹底的にやったからこそ、その先の個性的な表現ができている。

守から破、離へ

伝統的な武道でも、芸術でも、ビジネスでも、「守」を大切にせずに、「破」「離」の段階へ早急に進もうとしたひとは、結局、不成功に終わるケースが多い。

守破離の破・離の部分は、守の部分をとことん体験しないことには次の段階にいけません。無理して次の段階へ行こうとすると、うまく成長の段階を辿れないのです。

アントロの世界で、真似に終わっているひとは、実は十分に本質を堪能していないから、自分のオリジナルへ進む衝動が起きてこない。

アントロを、真に、感じ取り、十分に体験している人は、先生を超えて次へ進む準備が自分の中からできてくる。


シュタイナー学校の発展のために、守を大切にする。その次の、破・離の部分へ進むために、徹底的に基本を体と心で体験する。

でもそこで終わってはいけない。その先がある。常に変わり続ける世界で、次に進んでいかなければならない。

なにより、人に教えられたことで満足するのではなく、自分独自の人生を切り開いていくことが「人間」ならではの能力を生かすということ。


2021年。「言われたことだけをやっていればいい」時代は、とうに終わりました。

2022年。私たちの世界を、私たちがクリエイトしていきましょう。本質を見据え、次の段階へ。


明るい未来のために。
今を生きる。













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