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こんにちは。久しぶりの投稿です。
最近「現実と非現実」についていろいろと考えていました。今朝、目が覚めてしまった午前3時。河合隼雄さんの本をぱっと開いたら、そのページに「現実と非現実」という言葉が。あら。何かのメッセージかしら。ならば・・・とりあえず、言葉にして書いてみることにしました。

最近、つくづく「私って現実重視だな」と再確認しています。昔から非日常よりも日常を、非現実より現実を充実させることを大事にしてきました。

大学の卒業式には袴ではなく、卒業後も着れるちょっといいスーツを買いました。その日限りの特別にはあまり興味がなく、特別な日は、気持ちだけ特別になる何かがあればいい。

だから結婚式も略式でした。親戚一同を納得させるために、「結婚式はやったよ」と言える程度に形だけ。

特別なイベントのために、一張羅を買うのではなく、普段着こそいいものを着たい。

だから旅行も、特別に大好きなわけではありません。旅行に行って、日常のことは忘れるという喜びがわからないわけではないのですが、私は日常・現実が大好きすぎて、忘れる必要がない。あえて言うなら、私にとって旅行は、日常を充実させるためのエネルギー補給です。だから、旅行に行っても、いつも仕事・授業に使えそうなものを探してたりします。

昨年ドイツからイギリスに帰るのを決めたとき、引越し先は迷うことなくロンドンでした。私は、美術館やコンサートなど、世界一流の芸術や音楽にふれていたい。なのに、ドイツの田舎町にいるときには、美術館に行くのに片道2時間半とか、コンサートに行くのに泊まりがけ、とか。頑張って、行くぞって決意しないと、美しい美術も、大好きな音楽も生で味わうことができない。もう、そんな欲求不満はもういや!・・・と思ってロンドンへきたのでした。

今から思えば、それも「現実と非現実」の考えなのだと思います。芸術を「特別な日」のためだけのものにしたくない。ちょっと買い物帰りに美術館とか、仕事終わって夜はコンサートとか、日々の日常で芸術にふれていたい。

頑張ってお仕事してお金を稼ぐのは、好きなものを手に入れ、好きなことをするため、という考えもありますよね。だから取り立てて興味のない仕事でも、頑張る。仕事よりもイベントを大切にする考えですね。その考えがしっくり来る人はいいのですが、私は昔からそういうのは苦手でした。一生のうち、大半を働いて過ごすのだから、仕事そのものが充実していないと嫌だ!・・・と。まあ、わがままなんでしょう。笑 
とにかく、日常の仕事のほうを、休日よりも充実させたいのです。笑

非現実と現実は、日常の出来事と、ちょっと特別な出来事という分け方もあるけれど、それだけじゃありません。たとえば、起きているときに体験することと、寝ている時に見る夢の違い。自分に起こる出来事と、小説や映画で見聞きし感じる世界の違い。そして、私にとっては、この物質的な世界と、霊的な世界の違い。

それらどれをとってみても、年齢が上がるにつれ、私の現実は、非現実的なこととどんどん混ざってきているのを感じます。一種特別な時間である、最高に美しい芸術を見ている瞬間が日々の暮らしの中にあり、シュタイナーの人智学を読みながら霊的な世界が前よりも身近になってきたり。

やっぱり、切り離すのではなく、混ざっているのが自然なのでしょう。



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