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20年も本を読まなかった私が出版事業に関わるようになった理由

長年、売上・利益ともに2桁成長することが当たり前の上場ベンチャー、投資業界の言葉で言うと中小型株という世界で取締役として経営にも携わり、今も、お仕事の半分以上は急成長期の上場企業、かつ、その役割は、当然企業価値の最大化なので、少しでも私のことを知っている人にとって、出版事業、それも紙の本の出版に関わるようになったことは、不思議に思われるどころか、メンタルを心配されるくらいで当たり前、と思っている。
出版業界のことを知れば知るほど、自分がM&Aや投資、新規事業の責任者として動く場合、よほどのことがない限り手を出さないと断言できるからだ。

まず、大型書店でも閉店のニュースは珍しくないほど、紙媒体の出版販売額は年々減少しており、ピークの1996年の2兆6,564億円から年々大幅に減少し、2022年には1兆1,292億円と、30年も経たないうちに半分以下になっている。内訳を見てみると、大幅に減少しているのは雑誌ではあるが、書籍も1995年には1兆470億円あったところ、2018年には7,000億円を下回っている。その後の減少幅は若干緩やかに見えるものの、2022年は6,497億円と下げ止まらない。
電子書籍を見てみても、2018年の2,479億円から2022年は5,013億円と伸長してはいるが、とても紙媒体の減少の代替となるものではない。
(注)数値は、「よくわかる出版流通のしくみ 2023-24年版」を参照。
本を読んだ方がいいと推奨されたり、本が話題になったりする頻度は変わらないのにもかかわらず、だ。


活字中毒の小学生が本を読まなくなった理由

では、なぜ減ったのか。
とうに専門家による調査結果が出ていると思われるが、あえて見ずに、自分はどうだったかを振り返ってみる。

私が生まれたのは1982年。
「月曜から夜ふかし」で、書店の数は全国2位なのに、小学6年生の読書率ランキングは全国46位と、ご当地問題として取り上げられていた大阪出身である。
そんな大阪で生まれ育った割に、記憶にある限り、小学生の頃は、どこに行くにも本を持ち歩き、誕生日プレゼントにも本を希望するくらいの読書家だった。
中学年の頃にはすっかり活字中毒気味で、図書室に行っては頁数が多いものを求めていたように記憶している。好んで読んでいたのは、国内の文豪の名作より海外の冒険物。のちにスパイ、探偵、警察といったミステリィ・ハードボイルドへと繫がる。
ところが、高学年の頃、近所にレンタルCD屋ができたことで、音楽漬けの日々に一変する。音楽については、テレビ以外で音楽を聴くような家庭ではなく、何もわからないままヒットチャートに準じてJ-POPを聞いている間は良かった。
買ってもらったCDラジカセにラジオが付いていることに気付き、うっかり大阪のローカル局FM802にチャンネルが合ってしまってからが大変だった。
好きな曲に出会っては次にかかるまで根気よく待ち録音、過去作がレンタルで出ていれば録音して当日返却、ラジオだとそのアーティストが影響を受けたアーティストまで知れてしまい、どんどん深みにはまっていくので大忙しだった。
1995年からが中学生だったのだが、3年間、派閥がなく全員で仲が良いような平和なクラスで、陽キャでもサブカルでもヤンキーでもなかったが、それぞれの文化を嗜めるポジションを得た。
借りパクもなく民度が高かったので、みんなに満遍なく誰かが持ってきたマンガが回されており、当時はジャンプでは「スラムダンク」等が連載されていたような豊作期だったので、漫画を読むのにも忙しかった。休み時間や自宅時間だけでは足らず、毎時間のように誰かが授業中に感動して泣いていたほどだ。
また、ゲーム界でも、クロノトリガーやファイナルファンタジー7といった名作が出たり、映画界でも岩井俊二監督が出始めたりした頃で、放課後は誰かの家にいることが多かった。
良いポジショニングだったがゆえに、サブカル勢とも仲良しで、一緒にエヴァンゲリオンの映画も見に行った。当時はこっそり行ったが、現在の認知度を考えると、あの時、誘ってくれた友人に感謝したい。
スポーツ界では、ヤクルト黄金時代で、監督・選手のキャラも濃く「プロ野球ニュース」(のちの「すぽると」)を録画、K-1もまだスポンサーはエスカップ、中継司会は藤原紀香の創立期で全大会録画するほどハマっていて多忙を極めた。
余談だが、のちに、氷河期だった新卒時の就職で、最終面接で格闘技に興味がない面接官にK-1とプライドの違いを熱弁しただけで合格したので、この時ハマっていて良かった。

いったんここで切ろう。
いかがだろうか。
超個人的な範囲で見ても、1994年以降エンタメコンテンツが急増しており、読書が好きな子供が本離れをしても致し方ないように思える。
プリクラやカラオケが普及し、学生でもできる遊びの種類が増えたのもこの頃だと思う。

高校からはバイトができるようになった分、使えるお金は増えたが、さらに遊びの範囲は広がり、本を読むことはなくなった。買っていた出版物は、ローカル誌の「Meets」と音楽雑誌くらいで、漫画すらほとんど買っていない。ちなみに、初めてのバイトで貯めたお金でアコースティックギターを買ったが、上達することなく物置行きとなった。
大学に入ると、さらに活動範囲は広がったのは言わずもがな。初めの2年間は、とにかくバイトと遊びに明け暮れていた。詳細は割愛するが、その経験から、3年生から公認会計士を目指したのだが、貯めたお金は専門学校の学費に消え、時間もなかった。
卒論すら学校の図書館にあった何冊かの本で完成させ、先生に「さすがに、うちの大学の図書館にある本くらい把握しているよ」と言われたほどだった。話は逸れるが、卒論は製造物責任法で書いたのだが、会社法のゼミに所属し、勉強しておけることはいくらでもあったのに、組織再編やTOBにしなかったことを、のちに自分が責任者としてそれらをすることになって悔やんだ。実践から学ぶことになってしまい、ほぼ読まなかったものの、結局、この分野の本は何冊も買った。
4年生の夏、公認会計士試験に落ち、8月から就職活動を始めたのだが、前述のとおり、幸運にもK-1のおかげですぐ決まり、友人たちから卒業旅行はヨーロッパだと告げられ、費用を稼ぐべくバイトに精を出した。3年生から勉強に専念し貯蓄で過ごしていたため、遊びに使う余裕はなかった。
そこで、初めての図書館通いを始める。
やはり、ミステリィ・ハードボイルドが好きで読みまくった。子供の頃とは違い、国内の作家に面白味を感じ、特に、シリーズものが出ていた森博嗣や大沢在昌にハマった。結局、卒業旅行に行く頃には忙しくなり、図書館通いは数ヶ月で終わったのだが、この期間に読んだ本の感想は、スケッチブックに絵とイメージソングを書いて、小学生の時からの友人に一方的に贈呈した。
この友人は、突然音信不通になっては実家の電話番号に連絡してきたりする人で(私はそういう人が大好きだ)、こちらからは連絡が取れないので内容が定かではないのだが、森博嗣のスカイ・クロラシリーズに、Mr.Childrenの「Pink~奇妙な夢」を選んだと思う。私なら、友達にこんな感想集をもらったら大掃除の時に捨てる。

どんなに本を読めと言われても読まない社会人

新卒1年半ほどは歩合給の営業職、その後は上場ベンチャーの何でも屋で、業務上必要な膨大な文書や条文に目を通すので精一杯だったので、2005年に社会人になって10年間近く、実務書は買ってはいたものの本を読むことはほぼなかった。唯一、読み込んだと言えるのは、2008年から導入されたJ-SOXの対応をするために読まざるをえなかった実務書くらいだ。
年々、専門家の協力者が増えたのだが、そんな私の状況を見て、読むべき本の必要なところだけをデータで送ってくれるようになった。
営業職からのスタートで、かつ社会人人生を通して経営層と話す役割なので、日経新聞の購読と顧客の業界に合わせたビジネス誌・業界紙に目を通すことは欠かさない。
本を読むこともその延長で、お近づきになりたい方との話のネタに、その方の著書や注目されている本を読むという営業ツールとしての読書、言わば「ビジネス読書」はしていた。

そういう読書の仕方をしていると、書店でもECサイトでも購入ルートを問わず、売れ筋が目立つところに置かれるので、刊行されるビジネス書の傾向には流行りがあることに気付く。「こんな〇〇はダメだ」とか「こんな〇〇が正しい」とか、二項対立的思考に誘導される。
出版業界は、新刊1冊あたりの販売部数を伸ばすことが難しくなり、出版社は年間刊行する新刊の数を増やす傾向になった結果、皮肉にも、書店が安心して仕入れることができる委託制度が店頭の飽和状態を招き、陳列期間を短くさせたことも少なからず影響していると思う。

「ビジネス読書」でなく、いくつかの書店や図書館で既刊も併せて眺める時間をとるなどしていれば、こんな極端な考え方にはならないので全くもって自業自得なのだが、社会人10年目を過ぎる頃になると、「今年賞賛されているものは10年くらい前にダメだとされていた話だな。(それで、今、批判されている方法が主流になったんだよな)」などと食傷気味になり、ますます本から遠ざかるようになってしまった。
情報を入手するだけなら、本よりweb記事の方が圧倒的に早いし、表現も端的でタイパが良い。
現在、1日平均約200点の新刊が発行されているそうだが(「よくわかる出版流通のしくみ 2023-24年版」参照)、著書を出すことのハードルが下がり、複雑な気持ちになってしまうことが増えたことも、私を本から遠ざけた。
2021年には職を変え、充分な時間ができたのだが、そんな理由で、時間があったとて本は読む気にはならかった。実家を出て以来テレビはないのだが、アマプラもNetflixもSpotifyもYoutubeもTVerもradikoもあってコンテンツには困らないどころか倍速がデフォルトだし、テキストコンテンツもweb記事、noteやXといったSNS等で十分だった。

かなり冗長になったが、果たして、ここまで読んでくださっている方はいるのだろうか。
私がweb記事の編集なら全文書き直しを要求する。というかリライトする。
もともと本を読む習慣がなかった方はともかく、私のような理由で本を読まなくなった方も少なくないのではないだろうか、と思ったので、必要以上に詳細に書いてみた。

20年の時を経て読書家に

では、これほどまでの文字数で本を読まなかった理由を語れてしまう私が、2023年3月から毎月平均18,000円くらい本を買うほどの読書家になったのか。

本屋に行くようになったことがきっかけであることは間違いない。
詳細は別で書いたので割愛するが、出版事業の立ち上げに誘われ、どんな仕事でも請ける前に軽く顧客ニーズをリサーチするという、単なる私のルーティン作業の一環だった。

それまで唯一購入する出版物は漫画で、かつ電子書籍だったので、まず初めに、「そもそも紙の本は求められているのか。本屋は必要なのか。」と思ったのだ。
私の採るリサーチ方法は様々だが、今回のオファーの自由度は高かったので、どうせやるなら楽しくやろうと思い、プライベートでお世話になっている方々が本の活動をされていて、ちょうど「本屋という仕事」という書店員さんが編著された本を紹介していたので、それを読むことから始めた。この時点では思い入れもないので、こんなタイトルの本なのに、購入ルートは、Amazon一択で、書店に行こうなんて1ミリも思わなかった。

読んでみて驚いた。私が認識していた「本を売るだけの本屋」ではなかったのだ。私のように本を読む習慣がない人をターゲットにしていたのであれば、素晴らしい構成である。
データで持ち歩きたかったのだが、スキャンするほどでもないだろうと、心に残った文章をGoogleドキュメントに書き起こしていると、結局15ページの大作になっていた。Kindle版を買っていれば、こんな手間はなかったのだが、紙の本だったからこそ刺さったのだと思う。
電子版だと、端末がスマホにせよPCにせよ、少なからず、違うことに気が削がれてしまうので、いつもなら見落としてしまうレベルの小さな心の動きに、うまくハマったのかもしれない。

こうして、私の目には、「本屋」が目に入るようになった。
人間とは都合のいい生き物で、どんなに行き慣れた場所でも、興味がなければ存在すら認識されない。
どこかに行く用事がある時は、事前に、近くに本屋があるか、「本屋という仕事」で紹介されていた本屋や名店と言われる本屋があるか必ず調べた。
そうすると、独立書店が増えていることに気付いた。新刊だけでなく、古書を取り扱っていることも多い。
こうした本屋は、イベントを積極的に開催しており、いくつかのイベントに参加することで、それぞれに思いが違うこともわかり、私の本屋巡り熱は、ますます高まった。それに伴い、小さな出版社も増えていることを知った。
そして、書店しかり、出版社しかり、業界構造上薄利で、ストックビジネスでもなく先行投資も発生するので、新規参入者には資金繰りも収益化も安定経営の難易度も高いことを知った。

そんなことは、私のようなヨソモノに言われずとも、業界の身を置く方々にとっては当たり前のことで、その中で、webコンテンツ等他の分野に軸足を変えたり、売れ筋だけに特化したりすることもできるのに、この事業を続ける、業界に残る、という判断をされているだけあって、相当の覚悟を持たれている方が多いように見えた。枠に捉われず、レジェンドクラスの方でも、いろんなことにチャレンジされている。
また、他の業界に比べ、業界の将来を憂う方も多いのか、業界で有名な方でも新規参入者に親切で、いろんなことを教わることができた。若者が将来性への不安から業界を去ったり、そもそも新卒採用枠が減っていたりする一方で、経営者としては私よりはるかに若い世代が参入しているのにも納得がいく。
他の業界だと、自社のPRや個人の承認欲求を満たすために露出されていることも少なくないので、受け手側の選球眼が必要なのだが、あくまで「業界」や「本」のためで、何かを批判することで自分を優位にするような単純な二項対立構造の話題にならないことも相まって、どんどんのめり込んでいった。

この頃から私の本屋の滞在時間は小さな書店でも1時間ほどになった。前述の「ビジネス読書」をしていた時の影響で敬遠していた大型書店の見え方も変わり、大型書店になるとフロアが多い分、2時間は取りたい。

びっくりするほど本への向き合い方が変わったのだ。
もちろん知り合いからお薦めや話題書をピンポイントで探すこともあるが、こうした場合は以前と同様、ECサイトで買う。
本屋に足を運ぶ理由は、ネット検索のように、自分の行動履歴からおススメされるような本を見つけに行くためではなく、なぜかわからないが目を引く本に出会うためだったり、店主や書店員さんの選書を読んでみるためだったり、だ。学生の頃にしていたCDのジャケ買いに近く、もちろん当たり外れもあるが、それはそれでいい。
不思議なことに、本を買って、すぐ読まずに積読していても、読むべきタイミングで読むことになるのも面白い。
私が敬遠している過剰な流行りのインプットによる思考への影響を受けすぎることもなく、むしろ相反するものを同時に取り入れることもできたりする。
最近では、凝り固まって煮詰まった企画や課題を、強制的に別の角度から見るために、タイトルを眺めに本屋に行ったりするまでにもなった。
陳列の規則が多様な方が捗るので本屋に行くことが多いが、図書館も本屋より取り扱い分野が広いので良いと思う。残念ながら、本屋がない自治体も少なくないと聞いたので、そういう地域では、書店のECサイトも良いかもしれない。

いにしえより、偉い人ほど「本を読め」と言うのは、そういった読書の効能を知っているからだろう。そんな人たちの言葉を無視するどころか、場合によっては害とまで思っていた私も、40歳を超えて、ようやく気付いた。
私が本を読むようになる数ヶ月前、ある学生と漫画の話になり、その派生で、「ネタバレ読んでからじゃないと買わない」と聞いたのだが、「わからんでもないな」と思っていた。
とにかく、世の中はコンテンツで溢れているので、短い時間で、かつシンプルにインプットできる方が良かったのだ。
結果、多様な考え方を広く取り入れたいという気持ちに反し、考える力、というより考えるために必要な時間まで効率化することになり、正しく使えば有効な「読書」という方法を追放していた。

これに気付けたのは、長く読まれる本を出版されている出版社、思いを持って本を売られている本屋があるおかげだ。
読書は生涯の趣味になるだろうと確信しているし、生涯学び続けられるということに喜びも感じるし、本というアプローチの素晴らしさを伝えていきたいとさえ思っている。

本が自分の人生を豊かにすると気付いたということもあるが、過剰な利益追求や従来の商慣行への執着を経て、自滅しつつあるビジネスモデルの変革期だと思うので、本業とは別になるが関われることを幸せに思う。

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