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子ども理解をわかったふりしない

3歳児のなーくんは初登園の日の朝、「なーくんおはよう!」と言うと私の顔を見て下を向いたり、自転車から降りるのを渋っていました。


私にもなーくんの緊張が伝わるほど。

「どうしたの?」と聞くと、「だんちのこうえんいきたい」と言ったんです。


正直、これが本当の理由かはわからないけど、私はなーくんの気持ちを分かりたいと思ったんです。


「そうだよね。団地の公園行きたかったんだね」


すると「うん」と頷くなーくん。


「団地の公園で何がしたかったの」と聞くと、「すべりだい」と言ったのです。


「そうか〜滑り台したかったんだね。ここには滑り台ないもんね。どうしようか。」



その時に私は考えるんです。


彼の本当の気持ちが“団地で遊びたい”と言うところなのか、、、


今は動ける人数なので彼の気持に寄った方が良いのか、寄っても良いけど今日はなんとなく城山で過ごした方が良い気持ちもある。


気持ちは寄せるけど、行動を寄せるべきかは悩むんですよね。


でも、どこかでその日は城山で過ごした方がいい。と言う気持ちもあったりして移動すると言う選択は薄かったんです。


考えながら話していると、ふと「なーくんかばんにいれてきた」と言って小さなリュックに入れたお着替えなどを見せてくれたんです。


「なーくんいろいろ入れてきたね〜!!」と言っていると、彼の好きなものの話をしてくれるようになって、お母さんのそばに行ったり離れたりしながら話していると、次の瞬間歩き出したんです。


え!?と思うんです。さっきまでなんとも言えない表情だった子が、行きたい場所に行き始めるんですから。

でも、その表情はキラキラしていて、我慢させられた顔ではないと言うことが何より驚かされると言うか。



その時にやっと本当の気持ちは“団地に行きたい”だけではなかったと確信するんですよね。



大人はいろんなことを無意識に決めつけているところがあるなと思っていて、それも経験や日々の積み重ねで悪いことでもないのですが、「緊張してるんだね」とか彼の気持ちを想像して決めつけることは簡単で、あながち遠くない予測もあるとは思うんですけど、なるべく決めつけたくないと言うか、決めた時点で子ども理解はできなくなるなと思っていて、「〜かも」をたくさん持っていたいと思っているんです。


保育士のスキルとして、泣いている子を泣き止ませられる人がスキルがあると思われていることと同じで、彼の気持ちを紛らわせたり、他に興味を持たせて気持ちを変えることは本当に簡単なことなのです。


でもそうすると彼は自分ではない人に気持ちを変えられてしまうんです。「悲しい気持ちは見なくて良いよ〜」と言われていると言うか。

それって変なことだなって思っていて、言葉では言われていないけど切り替える自分が◯だと思ったりして、本来自分の気持ちは誰にも裁かれる物でははいはずなのに、一生付き合う自分が自分を裁くようになる。


無意識に裁き癖がついてしまうのかなって思ったりしているんです。


自分の気持ちを見るって難しいことだとは思うんですけど、自分の気持ちは自分でしっかり味わって、変える変えないは自分で選んだ方が良いと思っているんです。



そして、公園を変えたり行動はいくらでも寄せられるんです。もちろん寄せることもある。だけど、私はすべて寄せればいいわけではないとも思っていたりもしています。



実際、何日か経った今も私の中で彼の気持ちは“団地で遊びたいだけではなかった”と言うことだけしか理解ができていなくて、この宿題は続くわけです。



そうやってずっと子どもからもらった宿題に向き合っていって、子ども理解とともに自分を理解していくのだと思っています。




のこのこではそう言うことを一緒に考える仲間を募集しています!!

興味のある方は、こちらにご連絡下さい^_^

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