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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第196回 第162章 母とロンドン

 さらに脱線を続け、一部話が母に戻るが、この兄の海外駐在中に、母は何度か渡英、渡米してそれぞれ数週間滞在する経験をしてきた。母はイギリス英語を習った世代であり、読解力は高いが、話す方はあまり得意ではないため、息子からの訪英提案に対して乗り気にはなれなかった。それでも、息子が海外特派員をしているというのは、まずない特別な事態と思い直し、息子が用立ててくれたビジネスクラスのチケットで往復し、すっかり海外旅行好きになった。
「これでいいのね?」
「はいー、お母さん」
 ヒースロー空港のがらんとした入国審査場での短いやり取りには緊張したが、無事通過できた。目を閉じての英語聴き取り練習が役立ったのである。これで自信がついて、その後、自分で何度かヨーロッパや台湾や東南アジアなどに行くようになった。自室の壁に沢田研二のポスターを貼って、「ジュリー!!」と叫ぶのではなしに、何ページも出入国スタンプで埋まった旅券を印籠のように鏡に向かって突き出す準備運動をしてから、飛騨伝統家具のライティングデスクに向かって、次の旅行の日程をノートに書いて夢想にふけるのであった。
 母の海外行きのたびに兄が裏で介入したため、母は一度もエコノミークラスを使わずに済んだ。しかも、兄は弟の私にもずっと説明していなかったのだが、母の航空運賃からホテル代からレストランでの食事代からお土産代から保険料から雑費に至るまで、すべて負担していたのであった。数回は、弱みを握っていた顔なじみの航空会社の幹部に「なしをつけて」、母の座席をビジネスクラスからファーストクラスへ無償でアップグレードしてもらう真似までしていた。
「今回は飛行機の中、ずいぶん広々としてるわね。機内なのに向こうに水平線まで見えるわ」
 アメリカは訪れてみてあまり外国という感じがしなかった。不思議な既視感を覚えることも少なくなく、それはひとつには北海道開拓にアメリカの影響が大きかったためであろうが、次のような事情も関係していたかも知れない。
 札幌のある高校に留学してきていたアメリカ人は、ホームステイ先の同じ学年の高校生に連れて行かれた北海道大学の構内を正門から獣医学部、低温科学研究所あたりまでくまなく(注: クマがいない、という意味)歩いてみて、「ここに来るとホームシックにかかりそうになるから、あまり来たくない」と話していた。広い芝生、ハルニレの巨木がアメリカの実家のある高級住宅街を思い起こさせるからというのであった。北海道・札幌の人間にとっては、北米よりも本州、四国、九州の方が異国感が強い場合が多い。
 結局、母は特にロンドンが気に入り、「うちのお寺では、♪月曜日は月餅の匂い〜、水曜日は水餃子の匂い〜、金曜日は金木犀の香り〜、というように、線香を毎日日替わりで交換して曜日の感覚を忘れないようにしているけれど、そうやって究極のマンネリ生活をして歳を取っていって地面にめり込んでしまうのも詰まらないから、いっそ英国に移住しちゃおうかしら。でも、気候も食べ物もここ札幌の方がずっと良いって、向こうから来て何年も住んでいるうちに結局定住したイギリス人たちが何人も言っていたわ。地下鉄もパリはいろいろ割引制度を作ってやっきになって料金を低く抑えているけれど、ロンドンはちょっと移動しようとするだけで、びっくりするほど高くつくわよね。不動産も首都圏、どこも高いわねえ。狭い物件が何億円もするのよ。純金のレンガで建てているんじゃない? 安いところは不便で治安も悪いし。それにチェルシーってロシア人ばかり住んでいるんじゃない?」と話していた。

第163章 兄、乱心す https://note.com/kayatan555/n/n1a78f92934c4 に続く。(全175章まであります)。

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