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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第162回 第128章 小樽で開業した医師

 メールの届いた音がした。面倒だし、対抗車に大型トラックが2台続いて見えるので、今度は停車しない。出し抜けに、確かtruckはフランス語ではcamionだったな、と思い出す。イギリス英語ではlorryだ。私は運転中なので、代わりにフランケンに読んでもらう。暗証番号は「1444(いししし)」だと教える。6桁にする積もりはない。だってボクそんなに覚えられないもん。そのうちに2桁でも記憶があやふやになるかもね。えーと(08)、さーて(30)。
「おばあさんは悲しく思いました。わたし何でお姫様に生まれてこなかったのかしら、そうしたら、毎日ケーキを食べて召使いをこき使って楽ちんに暮らせたのに」
「お前何読んでんだよ、絵本か? ちゃんとメールの方読んでくれよ」
「あーいー」
(後ですぐに番号を変えておこう。お姫様ということばで、昔の外語大生のときに息絶え絶えに耐えていた暑い東京の夏の日々を連想したので「6464(蒸し蒸し」」にしようか。「4444」なら気分が落ち込んでいる時に不吉だな。同じ漢字を4回続けられるから、例のノルマに追われている死に神に喜ばれてしまうぞ)。
(結局、どーいう番号に変えたんですか?)
(答えるわけないっしょ[北海道方言風]。ひーみーつー)。
 メールは小樽からだった。英語ではThe text was from Waterlooである(ウソ)。ちなみに英語で「loo」(ルー、と読む)とは、イギリスでトイレのことを意味する。
「おい、何だよ、オレの名前、ネーム、レストルームだったのかよ? 誰か、ちゃんとティーチしてくれよ」
 発信者は、築港近くの高校の生徒が前を通る高台に鉄筋のクリニックを建てたばかりの医師である。建物の隙間からマリーナのヨット群がわずかに見える場所にある。父親は都内の勤め先から出向させられて山形県で経営難の私大の理事をしている。どのような事情からか極端にこの父とは仲が悪く、最後に会ったのが5年も前のことだというのである。それも、父親に連絡せずに山形に行って自分の用事をさっさと済ませて、帰りに仙台に寄って勾当台の近くでオープンカフェをやっている知り合いに会うために駅に向かう前に寄ったスーパーのレジ付近でばったりと顔を合わせるというばつの悪い展開だった。うっかり、両手に持った紅花油の瓶を左右2連発で落としそうになった。父親は昔若かった秘書と一緒にいた。古文の授業で聞いた末摘花のエピソードを思い出した。どう生きようが本人たちの自由ではあるが、空気の少し抜けてきている風船が2個並んでいるような、ちょっと無残なカップルに見えた。モヘアのマフラーがお揃いの柄だったが、それぞれ漢字が2文字ずつ書いてあり、続けると「先手」「必死」だった。いい年こいて必死こいてまでして何するつもりなん、あんたたち。
 この小樽在住の知り合いは、出家、間違った、出産のため実家に戻っていた母親の故郷・山口県萩市生まれで、生後2ヶ月から東京都内で育った。この実家の庭で収穫した大きな夏みかん2個に挟まれた上機嫌の顔写真が、この旧家の床の間の鴨居の上に掛けられている。誕生数ヶ月後に亡くなった祖父の棺に同じ写真が収められた。
「じじ、お前の笑顔に守られてあの世に行くぞ。賢くなれよ」
「きゃっ、きゃっ」
 親戚は地元生まれだとして山口大への進学を望んだが、本人は完全に東京の人間として育ったのでそのような意識はなかった。マンガの影響で高校で入ったバスケット部の主将をしていた時に(「できれば鎌倉に生まれたかった」「他にはない良い場所だけど、湿気がひどいぞ」)、体育館内の隣のスペースで練習をしていた別の運動部の女子生徒が、札幌に伯母がいるので、まず国内で北大理学部に進学し、卒業後はボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学に留学しようとしているとの噂を聞きつけた。父親は会社経営者だそうだから、十分狙える進路だった。しかも母親自身が北広島市生まれで北大法学部卒だった。
 そこで、都内の大学医学部ではなく、北大医学部を受験して合格し、そのキャンパス内で待ち伏せをして、「いやあ、奇遇だねえ。ボク、キミの隣で練習してたんだよ、高校の時に。覚えてるよねえ、この顔。ボク医学部なんだ、えへん、えへん。どう付き合ってみない? ボクきっと大金持ちになるからさ」と交際を申し込もうと妄想をたくましくしていた(当事者適格の欠如=お呼びでない。幸福追求権の濫用=アホ)。
(あなたはいらないけど、お金だけ今すぐ全部ちょーだい)。
 早速担任に受験方針について相談したところ、5秒ぐらい顔をまじまじと見られてから(10秒見詰められていたら愛とスローモーションの始まり。ミュージック、スタート。Wow!)、「到底間に合わんな。小4ぐらいからやり直せや」と言われてしまった。そこで奮起して、それまでに過剰なぐらい鍛え上げていた肉体で睡眠不足に耐え、猛勉強をして短期間で偏差値を54から72まで上げることに成功した。しかし、北大の方は当然のごとくに不合格で、家族会議で浪人は避けることになり、石狩川三ヶ月湖医歯薬大の方に入学してきた。こうして私たちとヨット部で知り合ったのだった。
 医大を卒業してから小樽に移ったのは、大学5年の時に列車事故で知り合った婚約者が小樽市花園の出身で、結婚の条件として、その父親との同居介護を強く迫ったためである。
「目がマジ怖かったっす」
 ちなみにこの父親は毎朝家族に自己紹介をするに至っていた。礼儀正しいというのではなく、別の事情からであった。
「かあさんはどこ行った」
 この医師のふたつの口癖は、小樽は坂の街なので普段から強制的に歩かされて何かと健康にいい、ということと、小さな街なので歩いて寿司屋や飲み屋に行って、(酔っぱらっていなければ)歩いて自宅に帰ってこられるところがいい、である。もしも飲み過ぎてしまって歩けなくなっていたら、腿を高く上げて突っ走るか(できるわけないだろ)、第一匍匐前進!
「課長、この害者、背中(へなが)に車のタイヤの跡がありますな。それも、交差して何本も。マゾの爬虫類ですかな」
 メールはドイツ語だった。文字化けを警戒してウムラウトの部分を2文字に変えてある。接続法の部分が間違っているように感じたが(eが1個足りない)、意味はちゃんと通じるドイツ語の文面だった。言っているのは、今日持って行く「餌」のことだった。硯海岸に集まる我々は、ついぞ持ち寄る食べ物や飲み物のことで事前に調整をしたことがない。だから、同じ食べ物を例えば3つのグループが持ってきてしまうこともある。それでも懲りずに、皆平然と唯我独尊の態度で集まってくる。
 ジンギスカンが驚くほど高くなってしまって、おいそれと手が出せなくなっている。昔は、ビンボー学生が手軽に大量に買ってきては大学構内で煙を棚引かせたものだが、今では執事が銀製の食器に乗せてタップダンスをしながら恭しくテーブルまで運んでくる食材になっている。
「おジンギス、おカンお持ちしました。歴代の通し番号入りでございます」

第129章 ヨット整備・船底掃除始め https://note.com/kayatan555/n/nb11d3b0cde7e に続く。(全175章まであります)。

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