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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第163回 第129章 ヨット整備・船底掃除始め

 車がようやく硯海岸に着くと、仲間たちが砂浜で何やらしている様子が目に入った。学生時代に荒海で共に危険な目に遭って救助し合ってきた共通体験があるため、アカの他人から若干血縁の側に近付いている人間集団である。
「おーい、お前らもう誤診三昧で病院クビになったんか?」
「アホー、まだじゃあ、こんぼけー。そんな口きくんだったら、あのこと全部ばらすぞ」
「それはやめてーん。でもお前らもヤバいやんけ、いろいろあるぞ、暴露のネタは」
 すでに頭の中の距離の単位がキロメートルから海里に切り替わっている。1海里は約1.8km、1マイルが1.6kmぐらいだから、それよりは長い。ジョギング中やドライブ中など、正確な計算をしていられないときには、ある距離を頭の中で単純に2倍にして、それより少なめに概算しておくといい。部に入った初日に、先輩のひとりから、大学キャンパスからここまで何海里あるか、と聞かれて誰も答えられなかった。その時の緊張感から、その後どこかを移動していても何とはなしに距離を海里に換算して考えている。人生は航海だから、なんちゃって。
 ドイツ語ではWeil das Leben eine Schifffahrt istである。Weil(ヴァイル)は英語のbecauseに当たる単語である。fが3つも並んでいるが、これで正しいのである。なぜなら、船を表す単語が英語のshipに対してSchiffだから、次の走行、航行、旅といった意味のFahrtと合成されてこうなる。英語でfがこれだけ連続する単語は多分存在しないから、第2外国語としてこの言葉を勉強し始めたばかりの学生なら、間違って書いてしまっているのではないかとちょっと心配になるところであろう。フランス語だとParce que la vie, c'est un voyageだろうな。いったんフランス語での表現を考えつくと、それをイタリア語に変換するのは仏語・伊語が互いによく似た言語であるから訳もないことである。Perché la vita è un viaggioである。だが、この場合、フランス語では問い「なぜ」がpourquoi、それに対する答え「なぜなら」がparce queと別なのに、イタリア語では両方同じperché(ペルケ)で済む。好きなイタリア語単語であるviaggioが出てきたので関連表現を調べてみると、viaggio di nozze=新婚旅行が見つかった。まあ、いいわねえ、『フィガロの結婚』Le Nozze di Figaroに出てくる単語がご登場あそばされた。いかん、いかん、外国語の話を始めると、睡眠不足で失神するまでどこまでも連想が続きそうで、きりがないので海に戻ろう。足が滑ってドッボーンッ。
 まだ午前7時前だ。小春ちゃんは自分で車のドアを開けて降り、まぶたを擦りながら旧小学校校舎に入って、黒板を見つけてマンガのキャラクターを色々描き始めた。昔は藤子不二雄のお化けのマンガなんかを描いたもんだ(こないだの戦争、つまり応仁の乱のころ、どすえ)。即興の曲なのだろうか、何やら歌っている声が廊下に聞こえてくる。人体標本2体が目を閉じて頭をゆっくりと揺らしながら耳を傾けている。
 ♪ そうよ、ちょん切るのよ
   ラララ、ちょん切るのよ
   昨日の悲しみ、悔しさ
   迷わず、ちょんぎーるーのーよー
   だ〜て、あなたは正しいもの〜
 というリフレインの部分が耳について、手術の時に思い出してしまいそうだった。(正しいってところはいいけど、他はまずそうな歌詞だなあ)。曲の途中で歌声が途切れ、男の子の声の真似に変わった。
「そんなことないぞオ」
 十分な人数が揃っているので、今日の船体洗浄・塗装作業は快調に進みそうだ。
(小春ちゃんと並んで黒板にお絵かきを始めなければ)。
「あー、ズルーい。私の真似しないでえ」
 まだ暗い時間帯に出発して走り続けてきたドライブが終わって、無事浜に着いて小休止を取ることにしたので、ボクはみんなから少し離れた場所に歩いて行った。ああ、家から出ずにあのまま寝ていたかった。
 夏の早朝の海岸に佇んでみる。空気が澄んでいて空が高く、繰り返して波の音が聞こえる。砂浜は水をたっぷり含んだ滑らかなマッシュポテトのように見え、その上を歩くぼくの素足を少しだけ沈めて受け止める。そのままずぶずぶ行ったら流砂地獄さ、ずびずばあ。
 心持ち肌寒い風に包まれ、全身の細胞が、朝靄の湖面から次々と渡り鳥が飛び立つように、急速に酸素に置き換えられていく感じがする。周囲には簡素で清涼な風景があるだけだ。中谷宇吉郎も『真夏の日本海』の中で、「夏の日本海の朝の色位美しい海の色は其の後見たことがない」と書いている。カモメが数羽滑空する中、一部の枝が枯れたアカエゾマツの巨木から飛び立った始祖鳥が、1羽旋回しながら上昇して行く。視線の先に白っぽくなった月が見える。太陽系の全惑星がブロードウェーのミュージカルのように、空に一列に並んでオールスターのラインダンスを踊ったりはしない。ゲッツ。人生単純に生きていいのだ。学生時代より回数はうんと減っているが、海に来るたびにそう実感する。

第130章 浜の風に吹かれて https://note.com/kayatan555/n/n87a168894edd に続く。(全175章まであります)。

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