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支援される、という言葉の響き

今日、自立支援の手続きに行ってきた。

精神科への通院やらデイケアが三割負担のところ、これを使うと一割負担でよくなる、っていう制度の申請。
(今回の投稿は勢いで書くので、正式名称とかすっ飛ばします)


明後日デイケアに参加する予定があるので

まだ一度三割負担で払うけれど
たぶん通るから、
その日から一割(やがて差額戻ってくる)になると思う。

で、
申請書を見てやりとりして
改めて・・・
『支援』という言葉を頭の中で読み上げたような
(少しまどろっこしい表現になってる
のは、この辺の感覚が
私弱いのだと思うので)

感覚になってみて感じたこと。



…………ここまで、長かったなぁ……。



………生まれてから五十三年、

一度目の発達障害診断から、二十三年。


公的な「支援」を受けるのは初めてのこと。


公に市町村というか国というかに
「支援の必要な人」(が、そこにいますねと)としてカウントされた。


私ずっと、
「なんでもないよ~(^o^)」
「大丈夫だよ!」
と明るく言われるか

「怠けてるとしか思えない」
「甘えてる」
って言葉投げつけられるか、のどっちかだったので

ーそのどっちでもない扱いー

を受けたことがなかった。

もちろん「そうなんだ、そういう身体なんだね」っていって言ってくれる人もいたけど、
その人は
“支援”をしてくれるわけではないので

そうだねあなたは支援が必要だよね、って思ったとしても
「じゃあ何かしましょうか?」って会話が発生するわけではなく。
もっと細かく言うと、これやっとくよ
みたいなことはあったとしても

“発達障害というものを持つ私”
というか
“困難の根っこの部分”
に対して
支援しますね、という呼び掛けがなされたことはなかったんだ、たぶん。

でも今日、申請終えたら
担当の方が
『何かありましたら相談に来てください』

と、帰り際に言ってくれて。


言われてじんわり染みてきて初めて、
「あぁ、この呼び掛けはされたことがなかった」
と感じた

(記憶があいまいな人間なので、万が一
私似たようなこと言ったわ!という方いたらごめんなさい)。

ぶっちゃけ、もう期待しないことにしてたので
そういうこと言って欲しいとかも思ってなければ、言われるかもと想定もしてなくて
事務手続き、エネルギー切れないうちに
とっと終えよう!
しか考えてなかったし

ずうっと、ずうっーーと前に
「諦めてしまったこと」
が、ふいに
あまりにふいに
やってきたので

すごく不思議な感覚だ。

と同時に、ちょっと泣ける。



最初の診断受けた時も今も、まともに働けてはいないので
当時私がまずしたことは
「自分が働ける作業所を作りたい」と動く、ということだったんだけど

「『当事者が、自分のための作業所を作る』ということを考える」
ということ自体がどうにも伝わらなくて

“知的障害も含んだ重度の発達障害、の男の子たちが通う作業所の
支援員”
(て言い方であってる?要はスタッフ)
の職を紹介されて

『そういうことじゃないんだぁーーー!!!』
と心の中で叫びまくったけど

いくら説明しても届かず。

(国語と社会が90点以上で数学は赤点、ていうタイプのハッタツ者かつ、“ことば”にものすごくこだわる人間なので
間違うような文章で喋ってない自信はあるんだけど、
バイアスがかかるとこうも



発した言葉が届かない



んだな、という強烈な虚しさが残った)




それでどうなったのかというと、

機会があるのはありがたいことだったので
そこで働くことにしたんだけど、

ある日
ものすごく身体の大きい青年がパニックを起こして、私の手を引っ掻いて傷が出来たことをきっかけに
私がパニック!
(でもこれも、傍目から見てパニックとは分かられなかった表出だったと思う、なんなら今の方が分かりやすそう)

当事者なので
『わかる、わかるよー!あなたのそのパニック、私も起こすもん!!』

と思いながら
そこに行けなくなって
辞めてしまったのでした。


だから通う側で作業所が必要って言ってるやん!こういうことだよ!と
思った想いは
どこにも届かず、

宙に浮いたような状態で

長い時間が過ぎて、

私時間感覚がかなり弱いのでよくわからないんだけど
その私がものすごく時が経ったと思うほどー

それを思ったら
そりゃおそろしいほど長い長い時間が過ぎて、


前出の担当の方に、近場の作業所の話をちらっとしたら
「通えると思いますよ」

って・・


ちゃんと障害者(支援が必要な人)として扱われた~!
嬉しいー!!


向こうからしたら当たり前なんだと思うんだけど、
こんなに涙が出るほどの喜び

「なんともないと思われ放置」の日々では無くなった?
と、まだ半信半疑だけど

違う人生が始まった、という感じ。


何というか、支援そのもので何かが変わる!という期待ではなくて

(実際、手続きに必要な資料が揃ってなくて一旦家に取りに行くって段になって
向こうは
何度も行ったり来たりが負担だろうと
「今用意しなくても電話でいいですよ」って再三言ってくれたんだけど、
こちらは動くのは全然苦じゃないというか
スイッチが入ってる時は疲れの感覚がないし、その状態のうちにやっちゃわないと
一度家に帰って落ち着いたりしたらかえって大変なので
なんとか今のうちに済ませたい、かつ電話は嫌だそこが一番負担
なので「大丈夫です、むしろ電話苦手なんで」と伝える
というやりとりがあったくらい

そこを分かって欲しい!じゃなく
まあわからないだろう、というような気持ち)



『支援』があるんだ、
『支援』を求めてもいいんだ、という
「支援」。

と言いますか。

それだけで、だいぶ心支えられることがあるよね・・・。


と思わぬきっかけで感じられたのでした。


タイトル、最初
“言葉の重み”
にしようと思ったんだけど、それだとしんどいネガめな印象もあるかな?と思い

そうではないです、という意図でこうしてみました。


写真は、申請のための診断書もらった病院からの帰り道で撮ったもの。

その日であった、ということの意味と

風が強かったと思うので(丈かなり低い花だからあんまり関係なかったかもだけど)

動きが見える感じ

がいいかなと思って選びました。


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