クリントイーストウッド監督50周年記念ということで「許されざる者」を観てきた話

 皆さん、こんにちは。はじめましての方ははじめまして。三上です。

クリントイーストウッド監督の監督50周年ということで1992年の映画「許されざる者」を観てきました。なのでその感想を書き残しておこうと思います。

感想と言っても誰かに聞かせるものではなく、内向的なまとめなので、文体が変わってしまうのは僕の癖です。一介の学生がなにやらわかったような口を聞いているな程度で捉えてくださいな。

きっかけ

さて、この映画を見る前の印象は、正直なところ良いものではなかった。自分が生まれる前に制作された映画であり、西部劇にあまりいいイメージを抱いていなかったからだ。

私にとって古い映画というものは撮影機材の性能が現代に比べて低く、画質や音質という点からノイジーに感じてしまうものである。やはりきれいな画面、美しい音楽といった日常では味わえないものを映画を通して得たいと思う質なのでこればかりは仕方のないものなのだ。

また、西部劇にいいイメージをいだいていないのは、その時代背景、文化にある。男性女性像が僕の理想とするものとはかけ離れているし、カウボーイが出てきて馬に乗って、銃を打ち合っていれば西部劇のような印象があるからだ。

ではなぜ、ここまでマイナスな印象しかない映画を鑑賞することになったのか、それは招待されたからだ。

きっと招待されなければ見ようとは思わなかったであろう。しかし、招待はつまるところ、タダ、ということである。自由なお金が少ない貧乏学生である自分としてはこれは大変魅力的であった。そんなわけで観に行ったのである。

感想

「許されざる者」はとても静かな映画で、静寂が効果的に利用されている映画である。人間の理想と現実の葛藤、立てた約束に対する罪悪感や迷い、それら微妙な内面の変化が登場人物の言葉や、仕草、環境の変化で丁寧に表されていた。

この映画はいろいろな目線で見ることができるが、一番は主人公の内面を描いた作品だと考える。

伝説の殺し屋だったが、妻と暮らすうちに殺しや酒を捨て、平凡な暮らしを選んだ主人公ウィル。しかし、妻は病気で亡くなってしまった。だが、彼は、貧しいながらも殺しも酒も辞め、子供二人とほそぼそと暮らしていた。そんなある日、賞金首を狩りに相棒を探しているというキッドが現れる。彼は武勇に憧れ気持ちばかり先走る青年であり、自分を大きく見せようとしていた。初めは殺しは辞めたと断るウィルだったが、賞金額を聞いたウィルは生活のために殺しをすることを決意する―

ここまでが冒頭のシーンなのだが、まず演技がうまい。生活のために亡き妻への誓いを破るか考えていることが目線や、体の様子から伝わってくるのだ。また、ずっと馬にも乗っていなかったことがわかるように工夫されているし、とても丁寧に構成されていると感じた。

ほかにも、移動しながら決断を悩むシーンや執拗に酒を拒むシーンが多く散りばめられており、ウィルの心の変化が行動に表されていた。

また、他の登場人物のセリフからウィルの異常性や過去の精算は本当の意味ではできないことが匂わされていて、作品を通して人間の葛藤が現れているようだった。

人間の理想と現実がかくも違い、理想通りに生きることが難しいのか、それが示された映画なのだと思う。そして、題名である「許されざる者」は理想を破る人間は許されないが、それを抱えて生きていく、過去の糧として暮らしていく、そんなことが暗示されているのではないだろうか。

感想というより思ったことをのべつ幕なしに並べたためとっちらかっているが、何を言いたいかというと、古い映画も良いものだ、ということである。

レッツ映画。

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