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神はサイコロ遊びをしない。だが、人はサイコロであり、自らを人生へと投げ込む。

こんにちは。三上です。noteを毎日更新しようとネタを探し始めたら意外と多くて逆に何を書こうとなっています。何かを始めるってエネルギーがいるけれど楽しいですね。

さて、今日はフランスの哲学者であるジャン=ポール・サルトルの言葉

l'homme est d'abord ce qui se jette vers un avenir,et ce qui est conscient de se projeter dans l'avenir.

を紹介したいと思います。

おいおいフランス語で書かれても読めないよ!というかた、ご安心ください僕も読めません(おいおい)ので、後で訳も紹介します。

そもそもサルトルはどんな人なのでしょうか。

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この写真の方がサルトル氏です。

サルトル氏は実存主義派の哲学者で、とりわけ無神論的実存主義と呼ばれており、「実存は本質に先立つ」と主張し『存在と無』では「人間は自由という刑に処せられている」と論じています。また、自分の意志でノーベル賞を拒否した人物でもあるそうです。(wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB)

さて、紹介したい言葉は様々な訳があるのですが、一番シンプルで好きなのが

「人は賽子(サイコロ)と同じで、自らを人生へと投げ込む」

です。

そもそもこの言葉に出会ったのは漫画「BLACK LAGOON」に登場したあるセリフがきっかけでした。

「人ってね、賽子(サイコロ)と同じだって、あるフランス人が言ってるんです。

自分でね、自分を投げるんです。自分で決めた方向に。
それができるから人は自由なんだって。

みんな境遇は違ってて…。
でも、どんな小さな選択でも
自分を投げ込むことだけはできるんです。

偶然とか成り行きなんかじゃなく、
自分で選んだその結果ですよね。

どうでしょうか? 」

いかがでしょうか?人生について多くの示唆を含んだセリフではないでしょうか。

僕はこれまでサルトルなんて知りもしませんでした。もちろんこの言葉にもです。当時の僕は人生は見えないレールのようなものがあり、意識しようとしまいとそれに従っていきていくのだ、と思っていました。小学校中学校、高校、大学と将来を見据えた進路を選んできました。ですがそれは未知なる未来を想定しえないもので、安定はしているだけれども面白みが欠けるものでした。

大学生となり、学んでいく中で、果たしてこのままでいいのだろうか。という気持ちが芽生えてくるようになりました。抱いていた夢との距離の遠さに悲観的になっていたのもあったのかもしれません。

そんな状態だったときにBLACK LAGOONに出会い、サルトル氏のこの言葉に出会いました。

人は常に自由で、選択肢の多さに違いはあれど、選択する自由を手にしていると思います。

こう言えるのも自分が日本という恵まれた環境にいるからでしょうが、みなさんも選択肢はいくつか持っているのではないでしょうか。

僕は、抱いていた夢について勉強を重ねるうちにその実現までの道程の遠さに本当に進んでいっていいのか、これで生きていけるのか、そんなことを思うようになっていました。そして同時に夢と掲げていた以上、逃れては行けないような気もしていました。

ですが、この言葉を知ったことで、やめるのも続けるのも僕次第だと気付かされました。人生の主体は僕であり、結果を享受するのも僕です。

そして、僕は続けることにしました。

たしかに実現までは遠い。今やっていることが本当に夢につながっているのかもわからない。しかし、そうであるからこそ、挑戦するべきだと思いました。

このnoteを更新しているのも同じ理由です。直接夢につながっていないとしてもアウトプットする習慣をつけるのは大事だと思うため、更新しています。

年度が変わり、生活がガラリと変わるこの季節に新しいことを始める、迷いを断ち切る、そんな選択をすることをするのはどうでしょうか?

僕はここから変わっていきます。いまはまだペーペーですが、1年後、5年後、10年後と、クソかっけえ男になって見せます。

だから、これをここまで読んでくださったあなたも一緒に成長していきましょう。

僕とあなたの人生に幸多からんことを。

ではでは。

三上



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