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自分を変えてくれたのはいつだって人だった

ボクは自他ともに認める自分好きっ子である。

とは言え、もともと自分に自信のある子ではなかったし、小学校低学年頃は給食が食べられないというコンプレックスからむしろいつも教室の片隅にいるような子だった。

色んなキッカケがあってボクは自分を好きになる事ができた。いくつかはnoteにも書いたような気もするし、以前に他のブログで書いただけでnoteには書いてない気もするが、なぜ自分を好きになる事ができたのか。今日はそのいくつかのキッカケの一つを書きたいと思う。


ボクは小学校三年生の三学期に転校した。それまでさっき言ったように教室の片隅にいるような子だったのでこの転校は内心ドキドキしていた。

ボクの人生で1番大きな転機は間違いなくこの転校だと言える。でもこの事についてはまたの機会にしたい(いや、もうすでに書いてるかもしれない)。


転校して間もなく仲良くなった子がいた。同じクラスで家も近く、母親も交えての付き合いとなった。確か彼の父親は一部上場企業のエラいさんで、家柄も立派。住んでる家も立派なら飼ってる家も立派だった。

4年生になったある日彼は自分は「中学校受験をするために有名塾に通っている。一緒に来なよ。」と誘われた。この彼の一言が間違いなくボクの人生を変えた。

ボクはそれまで私学に通うなんて考えたことも無く、かやま一族どこを探しても私学に通ってるもしくは通った事のある人なんていない。そもそも、正直言ってこの時に初めて私学の学校があるなんて事を知った。


「塾に行く」というよりも「新たな遊び場がある」という感覚で母親に告げるとまんざらでもなさそうだった。父親は全く関心を持っていなかった。


いざ、塾に通うとビックリ。まさにお受験のための塾で、全くついていけなかった。一番下のクラスで、試験なんかも全然サッパリ。いつも下から数えた方が圧倒的に早かった。ついていけず塾が始めるギリギリまで学校で遊んでいた。気持ちは遊び半分だったのだろうし逃げたかったのかもしれない。

何しに通っているか分からず6年生になろうとしていた。ただ、学校の成績だけはメチャクチャよくなった。おそらく塾が予習、学校の授業が復習のようになっていたのだろう。でも塾の成績は相変わらずだった。志望校と言っても仲良くなった他の友達が目指す学校に何となくいいなと思って選んでいた程度だった。

そんな気持ちで受かるほど中学受験は甘いものでは無い。


6年生になるころ、塾をやめた。そして町の小さな個人塾には行った。学校の授業+αのノンビリした塾だった。通う生徒の誰一人受験など考えていなかった。それがボクには合っていた。空気感と周りの友人、先生がたまらなく好きだった。受験をあきらめたわけでは無かったが、どこに行きたいという事も無くただ楽しく過ごしていた。

その頃母親は熱心に中学校を探していた。その中の一つに少し気になる学校があった。もう季節は冬に入っていた。


目標が決まると、ボクは自分でも驚くほど勉強し始めた。受験日は3月1日。あと3か月弱だったが文字通り寝る間も惜しんで勉強に打ち込んだ。とにかくストイックに。人生でこれほど勉強したのはこの時と大学受験前の三か月。おそらくボクの頑張りの賞味期限は三か月が限界なのだろう(笑)。

第一志望の受験が終わりボクは完全に燃え尽きていた。滑り止めの学校の受験が2、3日後に行われたがボクはもう燃え尽きていたので、テストの途中で寝てしまっていた。

結果、第一志望に見事合格し(滑り止めはもちろん落ちました)ボクはこの学校に通う事になった。


ボクを中学受験に誘ってくれた彼とはいつの頃からか関係性が薄れていった。彼は中学受験に失敗し、「急にレベルの低い学校を受験して汚いなぁ」と言われてしまい、ボクもカチンときたのでそれからは会う事も無くなったが、彼は間違いなくボクの人生を変えてくれた一人。


通う学校が変わった事はおそらくボクの人生を変えたのだろうが、それ以上にやれば何とかなる事もある(もちろんならない方が圧倒的に多いが)という事を体験できた事。これがボクには大きかった。今でも無駄な努力だったとしても頑張れるのはこの経験のおかげ。

そのキッカケをくれた彼。風のウワサで一流と呼ばれる大学に入ったという事だけは聞いた。今となってはどこで何をしているのかも知らないが、改めてここで感謝したいと思う。ありがとう。

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