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LGBTはふつうの人たちだった

 私は「XXさん実はゲイなんだって」などの話に「ふーんそうなんだ(私は別に偏見はないけどそれが何か?)」と流す程度の良識は持っている人間だし、電車の中の仲良さそうな同性カップルを見る目も他のカップルを見る目と変わらない。しかし、それでもLGBTは私には少し私には遠い存在だった。そんな私が決定的にLGBT当事者を自分ごととしてとられられるレベルまで変わった話。

アメリカのゲイカップル

 私は10年ほど前にNYに住んでいたことがある。だからW4ストリートあたりに、たくさんの虹色の旗が掲げられていることも、楽しそうにラブラブで夕食の買い物をしている男性同士女性同士のカップルがいることもアメリカでは普通の景色としてみていた。ただ、男性カップルは筋肉マッチョで短髪だったり、女性カップルは髪の毛を染めていたり、いずれにしてもカップルだが二人が大変似ていることが多かったのは日本と違って印象的だった。

新宿二丁目 オカマカルチャー

 バブル末期の1990年代、私は、新宿二丁目に一時期通ったことがある。「オカマバー」に行くのが流行っていたのだ。オカマさんたちは、私とちがい大変気遣いができ「女性的」で、すごいと尊敬するが、がさつな女性である自分とはかけ離れた人間が多かった。日本でのゲイカルチャーはなぜか女装とセットであった。今でも芸能人にもオカマ的ファッションというか女装をしている人が一定数いる。

2020年現在の東京では、電車の中でも外国人を中心に、男性は男性らしく、女性は女性らしい格好をした同性カップルは普通に存在する。またあえて性別がわからないようなユニセックスなファッション、髪型などもトレンドである。また女装は女装で一つの文化としてLGBTやヲタクだけのものではなく広く成立し、いろんな格好の人がいる。

 この変化は徐々におきてきたので、私は昔の自分の「ジョーシキ」をupdateしないでなんとなく、「私は偏見は無いけど自分とは関係ない人たち」としてLGBTをとらえていたように思う。

私の転機

 会社で、よりダイバーシティを推進する取り組みとして、人とは違うマイノリティの背景を公表してくれそうな方を探すというプロジェクトに入り、1日で2名のLGBT当事者の1:1でライフヒストリーのヒアリングをする役割ををなぜか私が担うこともなった。この年になるとたいがいのことには驚かないし緊張もしない。しかし、事前のメールのやりとりで、相手は同じ会社に勤めているとはいえ、会ったこともない私のこの話をすることについて少し緊張している様子が伺えた。この緊張感は、私もシングルマザーを公表するときにすごく感じたものであり、とても身近である。職場というのは、こういった私的な話題を持ち出すときに最もハードルが高い場であることが多い。だからこそ私は私としてのベストを尽くしたいと思い、少し緊張して待ち合わせのカフェに向かった。

レズビアンの日本人女性

  最初の方は日本人女性で同性カップルを公表している方だ。緊張して当然なのは相手であり私ではない。だから緊張を気取られないよう、はじめは普通の仕事の話とからスタートする。そして最初に私の方から口火をきった。私はあまり世間に言ってませんでしたが、色々叩かれがちな、シングルマザーで、色んなきっかけで、自分が公表することで他の人のためになるかな、と思ってつい2ヶ月前に職場でそれを公表した人間ですよと。同じマイノリティで、でもゲイのほうがもっと世間の風当たりも強いのに○○さんはなんで公表する勇気を持ったのですか?と。

 そこから怒涛のように色んな話を聞いた。男性と結婚していたことがあること、結婚が破綻してから色々あるうちに自分の嗜好に気づいたこと、最初は相手から言われて付き合ったこともあること、その後自分から好きな人ができて..などなど恋バナとして聞いていれば、実は異性の恋愛話とまったく変わらない。私が驚いたというか素直に「うらやましい」と思わずつぶやいてしまったのは、彼女の両思いの数である。今でも相思相愛の女性と同居している彼女、普通に「とってもモテる人」だった。どちらかといえば見かけは地味、とくにひと目を引く美人でもなく、皆に溶け込んでいる普通のファッション。でもすごい魅力のある人だからこんな恋愛遍歴なんだろう。ということで、今度会ったら、絶対に「モテるコツ」を教えてもらおう....なんて思っている。

ありがた迷惑な善意

 残念なことに、世の中の男性の一定数は離婚した女性はすべからく再婚を望んでいるか、自分にとっての便利な遊び相手候補と勘違いしている。彼女がLGBTを公表したきっかけは、取引先男性などから、彼女の離婚歴を聞いて「次は(男性のお付き合い)どうするの?」的なお誘いなどいただいたりがあまりも多くてめんどくさくなった、とのことでこれは大いに納得である。これは私が離婚を公表していなかった理由と同じで「めんどくさいことに巻き込まれたくない/偏見をもたれたくない」からだ。とてもモテるタイプの彼女にはお誘いや探りの質問が多かったらしい。「彼氏がいます」とか適当に流していたりしたが、そもそも男性に興味がないのに色々言われ、嘘をついたり秘密にしているのが辛くて、仲良しの友達1人に最初、「私男性に興味がないの」と話してみたらしい。そして探られるのが辛いと。その友達が普通に「いいじゃん、それみんなに言ったほうがいいよ」と言ってくれ、だから他の人にも言えたと。これはめちゃくちゃよく分かる話だ。そしてマイノリティにはこういった最初の支援者がとても大事ってことだ。

ゲイの外国人男性

 二人目は日本に来て1年位たったところという外国人男性だ。日本語はできず会話はすべて英語。だが彼の母国語はスペイン語である。流暢に英語で話すが、その英語はすべて10代から身につけたものである。生家はそれほど裕福ではなく、カトリック協会の支援を受けてアメリカの良い大学をでて良い仕事についている。カトリックの教義では厳禁なゲイになって、育ててくれたコミュニティにあまり恩返しができず複雑な思いを持っていること。アメリカではパートナーとして暮らしていた彼氏が日本に転勤になって、当然のようについていこうと思ったら日本では「配偶者ビザ」が申請できずに愕然としたこと。日本語ができない「ガイジン」なだけではなく「ゲイ」の日本での取り扱われ方が特殊だから、友達を広げていきたいがLGBTコミュニティ以外の人と接触するのに足踏みをしてしまっていること。いやいやふつーに私が地元の友だちになりまっせと思うナイスガイだ。

 ということで、今週この2人とランチする予定だが、新しい友だちになれそうで楽しみだ。

結論:LGBTは普通の人である。私はホントに腹落ちした。そしてこういう腹落ちする人が増えていけば差別はなくなると思うので、ここで「私は腹落ちしてますよ」とnoteに書いておく。


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