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大学生よ、就活はほどほどに

このところ、大学生と話していて気になるのが、空前の超売り手市場にも関わらず、就活に時間とエネルギーを使っている学生が多いことである。

最初の職場にいるのは長くないかも、だ

厚労省の調査によると、2015年3月に大学を卒業して就職した新入社員のうち、31.8%が入社3年以内に離職しているらしい(2015年度)。そしてその比率は特に最近増えたわけでもなく、10年以上続いているようだ。つまり3人に1人以上は、最初の就職先には大学いや、高校より短い期間しか在籍しない

なぜか点と点はつながってみえる

石の上にも3年という。転職という言葉が一般的でなかった頃だったが、私は最初の職場を、この言葉を支えに3年でやめ、それから今まで7回転職している。ステップアップのため、職場が嫌になったから、上司とケンカした、会社都合での解雇、子育ての都合、もっと魅力的な仕事、などなど色々であり、あまり褒められた理由でない転職もある。その時その時、その場でベストな選択をしてきたつもりだが、後で見返してみるとなんとか点と点がつながってみえてしまう、のだ。そして最初の点は次の点に直線でつながるものではなく、そのつながりはもっと複雑だ。

キャリアのつながりは単線ではない

キャリアについての点と点のつながりについてはこの42のカリキュラム図がとてもしっくりきたのでシリコンバレー校のカリキュラムを拝借する。

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42 Silicon Valley のカリキュラムを拝借する

まずこのカリキュラム図について3つ解説する。1. この図は、もともとカリキュラムの構成図として、エンジニア用語のnodeが点、edgeが線で書かれている。2.スタート地点は黄色の矢印で示した小さなnodeで、そこから右に進んでいく。エッジの形は試験など負荷によって違う。分岐などあるが内側の円の中は42のすべての学校で共通のカリキュラム部分である。そして外側には各校(シリコンバレー、フランス校など)独自の、より社会に接続された学びがある。ということだ。

キャリア開発に当てはめる

さてこれを自分の能力開発がどうなっているか、を俯瞰したキャリアに当てはめる。肝は3つ1つ目、エッジで直線につながっているところが生業(ご飯食ってく仕事)と私には見える。まあ、今の仕事でもばっくり言うと3つくらいのスキルや経験の積み重ねが生業を支えていると言える。2つ目は、生業とダイレクトにつながってはいないが発展している点があること。そして常に適切な点を増やし深めること。これは同じ仕事をしていても、環境変化によってつなげていく場合もあるのかもしれないし、また転職などのときにいきなりつなぐことになるかもしれないnode群だ。ただ、生業をこなすだけではなく、このようなnodeをどこに持つのか、そしてこれまでの自分のどのnodeとつなげるのか、こんなことを意識したらいいのかもしれない....と社会人生活25年になって思う。

転職のときにいきなりつないだnode

私自身の例でいうと、真剣に英語を勉強し始めたのは社会人になってからだ。「いつか国際的な仕事をしたい」と漠然と思っていたし、国内企業での生きにくさを感じていたから必死だった。当時の仕事は国内企業で外国人と接する機会はまったくなかったが、通勤の合間に必死でNHKのラジオ講座「やさしいビジネス英語」(ちっともやさしくないが月々確か300円台でテキストが買えた)を録音して勉強したり、市ヶ谷の日米会話学院に通ったり。現在、私が英語を日常的に使う仕事を楽しんでいるのは、このときに作った土台があったからこそである。

自分はどのステージにいるのか

3つ目は、円の内側、外側の線を意識すること。常この図では「すべての42共通」とされている内側円の中くらいのところが、何らかの「生業」を持ち、自分と家族が食べていくためのの基礎的なスキルなんじゃないかなと思うところである。円の内側は多少業界や職種によって違いはあるとは思う。でも自分は、今は内側の円の中にいるのか、外側の円のところにいるのか、とか、なにか学びたいこと(node)を発見したときに、この技能は内側の円に必要な技能か、外側の円にある技能なのか、というのはなんとなく意識をしてもいいと思う。

時代は変わる、人生長い

少なくとも言えるのは、2019年年末を迎える私は、大学卒業時には存在しなかった業界で、自分が大学卒業の時には超ちっこくてほぼなかった会社で、まったくなかったテクノロジーを使い想像もしなかった働き方(自由度)で、名前すらなかった仕事を今はしている。仕事そのものは私が当時「こんな仕事がしたい」などと夢見ていたより、ぜんぜん広く深く、私はこの職場が今までで一番自分らしくいられ、月曜日が苦ではない...というか仕事と生活の境目もあいまいで work as lifeである。

思い出と所感

さて、私の就活の思い出だ。大して大学の成績も良くなく、英語もできず、サークルや課外活動の目立ったところもなく、容姿も普通な文系女子、要はあまり取り柄がなかった私だが、不思議と面接受けは良かった。そんな私の就活の戦略は、「自分のやりたいことなんてわからない。だから一応会社さんに説明できるような「やりたいこと」の方向性はこさえて、とにかくたくさん応募し、選んでくれた会社が運命の会社だ」「とりあえず有名企業に就職するのだ」という方針だった。これはある意味今でも通用する一つの戦略だ。たくさんの不採用通知に耐え、それでも応募しまくったという度胸と打たれ強さが功を奏し、「みんながスゴイという会社」に女子でもちゃんと内定をいただいた、という親も喜ぶハッピーエンドだった。大学に合格したときより喜んでいる親、(成績悪いのに..)すごいと言ってくれる同級生、当時ピカピカな一流企業の素敵な内定式、とにかくこの過酷な選抜に耐えた(勝った)、というのは当時の私に自信にはなった。

この自信はその後、働き始めてから「決定的に自分は仕事のできないポンコツである」という事実の前に粉々になる。「女性総合職」として大切にしてくれ、当時としてはありえないほどのホワイトな待遇をいただいておりながら、壊滅的に仕事ができなかった私はまさに「職場のお荷物」だった。この最初の職場の話はまた追って書こうと思うが、思い出しても当日の同僚、先輩、上司の方々には本当に申し訳ないとしかいいようがない。「新入社員女子はお茶くみ」なる謎の習慣のため、来客ごとに、急須でお茶を入れ、めんどくさいから薄くなったら茶葉を足していったたら、急須から茶葉があふれて、夕方に洗ってくれようとした総務のお姉さまを驚かせたのも、今となってはいい思い出だ。ちなみに、当時は「美味しいお茶の入れ方」なるものも新入女子社員の必須のスキルだった。

今の私は会社に着いて、コーヒーマシンで無料のコーヒーを飲んでのんびり景色を眺めてから仕事をはじめる。通勤は徒歩または自転車でオフィスには必要なときに行くだけなので「満員電車」なるものにも縁遠い。オフィスも当時は建築できないと言われていたくらいの高さのビルでホントに良い眺めだ。それでも最初の職場のお姉さまが入れるお茶は美味しかった。お茶を入れるときには沸騰したお湯を冷まして、かつ急須を温めておいて、60度くらいで入れ、ちゃんと蒸らしてからお客様の前で注ぐこと(フレッシュなものが良しとされるので、持っていってから注ぐのだ)、などなどの「昭和マナー」は人生のどっかで役に立つのかもしれない。少なくとも、自分がそういう応対を受けたときには、出してくれた方の使ってくださった時間と技術には気づくセンスは身についた。

「就活勝ち組」は、実はあまり大したことではない

もちろん転職活動も他人からの評価は重要である。だから、他人に羨ましがられる「元XXでした」が次の転職のときのメッキとして活きることがあるからまったく意味がないわけではない。しかい、自分のイタい体験から「就活勝ち組」である、ということは、実はあまり大したことではない、と思う。むしろ私の今があるのは、最初の職場でポンコツだったからこそ「テクノロジー」と「英語」という自分の人生にとってそれまで何の関係もなく、不得意だと思いこんでいたことにすがらざるを得なかった=市場価値があがるところのnodeを増やしたことだった。

大学生活とキャリアで一番重要ななのは、自分のキャリアをどうデザインするのか、未来が見えなく、自分の適性もよくわからない中でもちゃんと考えて、そして大学生活でやるべきこと=リスクのないnodeの探求とトライアンドエラーをしっかりやっておくことだ。

就活に使う時間とエネルギーはマヂで俯瞰して考えよう。

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