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大学生をとりまく謎の労働形態_1学内編

 この数年、大学生と利害関係なく、キャリアの話などをしている。対話は1:多のこともあるし1:1に深い話を聞くこともある。一回きりではなく複数年にわたり、その学生や周りの学生も含めてかかわりを持ち続けることもある。若者と関わると、その優れた能力、人間性、技術力、知力などから私が学ぶことが圧倒的に多い。反面「こんなことも知らないのか」と思うことがある。一番ビックリするのは、彼らが彼ら自身の時間や労力の価値をunderestimate(低く評価)していることだ。

学内の仕事と時給

 大学の学内の話。学内で見つけられるバイトはそれが試験監督補助にしろ生協のレジ打ちにしろ、驚くほど時給が低く、大概は最低時給と同じである。雇う側もそんなに金銭的に余裕があるわけではなく、また大学が都会と離れている場合は特に、空きコマなどで大学生が効率的にできる仕事は学内ってことで、応募者もそこそこ確保できているから安くても大丈夫という計算も成り立つだろう。私は、学内でのしごとは、大学の自治、というか自分で自分のの大学をよく知り、自分も貢献する、という意味合いもあるので、私は時給が低いが何か一つは、そしてある程度の時間の範囲内であればやったほうがいいと思う。

試験監督補助

 しかしさすがにこれは?と思うケースも散見される。最低時給、交通費がない試験監督補助のバイトをほぼ強制的にやらされているケースなどである。90分の試験監督で支払われる給料は1700円、しかし不便な場所の広大な敷地の大学の、その試験の問題用紙を受け取る部屋にまず行き、その試験が行われる部屋にたどり着き、スマホもPCも触れず90分試験監督をし、また遠い回収場所に回答用紙を返すってなまで実際は往復3時間とか、5時間とかかかる半日労働である。どうみても割が悪く、交通費や昼食代などを含むと結果的に金銭的に赤字だからだれもやりたがらない。しかし、試験ができないと大学が困るため、指導教官やその研究室、学部学科に所属しているなど関係などで、そのバイトを暗黙的に断れない、というよう「空気」が作られているってな話である。

コアタイムという無償労働

 もっとびっくりするのが理系の実験系の研究室に多い「コアタイム」と呼ばれる謎の無償労働である。研究上毎日一定の時間面倒をみなくてはならない実験材料や生き物などのやんごとなき事情、またそういうのがなくてもなぜか研究室に物理的にいなくてはならない時間を「コアタイム」と称する研究室がある。これが、たとえば週に2回、2時間程度であれば、それはそれで「ふーん」なのであるが、なんと講義に出席するときを除き、毎日9時から17時というところもあるのだ。なかには、冬期・夏季休業期間であろうが年間ぶっ通しというケースもある。研究に没頭し、自ら研究室に毎日泊まり込む...こういうケースもあるだろうし、多分発祥はそういう熱心な研究室の学生が自主的に始めたものなんだろう。ところがこれが先輩がいるから後輩もいなくては、となったり、教官がいつも研究室にこもっている学生だけを優遇し、そうではない学生をやる気がないと判断するなどが歴史的に積み上がり、結果、教官も先輩も不在なのに下っ端学生だけ長時間研究室に待機、となっているケースが結構あるのだ。私にはブラック労働(ってか給料もらってなくて学費払っているので労働ですら無い....いったいこれは何なんだろう??)と心底驚いた。「研究室に物理的にいなければできない自分の研究以外、自分の判断でコアタイムであろうとも研究室を離れることはできないのか」とか「友達が遊びに来たから、とか旅行に行くなどの理由で欠席することはできないのか」などなど私は何度も聞いた。しかし、そういうことをすると熱心ではない学生、というレッテルを貼られるらしいのである。ここでも暗黙的に断れない空気という謎の物体に若者の貴重な時間が縛られている。

私は宇宙人だ

 これは一つの大学の特定の学部の話ではなく、多く聞く話で、私は何度聞いてもそのたびに宇宙人のようにびっくりする。そんな宇宙人に対して、周囲の学生も含めて賢く努力家の学生たちは、「宇宙人のあなたには信じられないことは私も理解はするし最初はびっくりした」が、我々学生は学業成績とか研究実績という一本のレールの上でがんばっている。だから「私が知る限りこれがここのルールで、ここ以外のところに今更行かれないからなんとか○年耐える。仕方ない」というトーンで話される。暗澹たる気持ちになる。

知られざる実態

 海外の大学院では、こういった理系のどうしても場にいる必要がある研究室は院生に給料を払うところ、TAなど収入源もセットであるところが多いが日本ではまだまだ少数なようである。研究室を選ぶ時に、とかく学生は魅力的な研究テーマであるか、とかその研究室の実績などキラキラ部分で評価しがちである。しかし、私は、自分の貴重な数年間を費やすのであれば、労働者が就業するときと同じようにこれら無償の「コアタイム」はきちんと条件として明示され、考慮するべきだと思う。もちろんそのコアタイムから学生が得るもの、学ぶものは多いだろう。しかし、それでも流石に長時間すぎる実態が知られてなさすぎるのではないか。

論文数の減少

 ネット社会によって少しずつこういったブラックな実態も可視化されてきたし、学生も躊躇するだろうし、自分の子どもや大切な人に両手をあげて賛成とはいかない。大学非正規職員の厳しい労働条件はだいぶ世間に知られるようになってきたが、その温床ともなっている学生の時間の貴重さは同様に世間の常識と照らし合わせてほしいものだ。日本の科学研究の失速についてはこちらにまとめがあるが、その原因の一つがこの無償労働な気がする。


私の提案

 文部科学省や大学当局など監督する立場の方々、無償のコアタイムには週に何時間まで、それを超えたら有償(最低時給以上を支払う義務が生じる)という規定を作ることはできないだろうか。そして、学生側も知識を持って対等に条件を含めて研究室を選ぶ立場で選択してほしいとおもう。

  これら大学の当たり前、は市場経済の中に長年生きている私からは信じられないような話だ。そして、大学生の皆様、あなた達の時間の価値、その貴重な時間を何に投じるのか、もっとちゃんと考えてほしいものだ。

大学生の常識は世間の非常識です....とつぶやいておく。あ、写真はオーストラリア・メルボルンのブライトンビーチ。学生の間にこういった海外に行ったりする余裕や時間も持ってほしいな。

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