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自由に生きるための哲学勉強会 第2回 ~カント 『永遠平和のために』~

昨年(2022年)より、若輩ながら "いちチームのマネジメント" を担うことになったのだが、日々チームメンバーと向かい合う中で 『自分の中にもっと芯の様なものを培う必要性』を感じ始めた。

そんな中、身の回りで『自由に生きるための哲学勉強会』という有志による学び場が発足したため、哲学分野は全くの素人ながら参加してみた。このnoteは、勉強会への参加を通じて感じたことを備忘録的に残すものである。

1.今回の哲学勉強会のテーマ

カントの著作である『永遠平和のために』が、今回の勉強会のテーマであった。自分自身のおさらいも兼ねて、概要を書いてみると以下の通りである。
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■『永遠平和のために』とは? (導入紹介)
国家間に永遠の平和をもたらすための必要要件を整理したものである。
 ・3つの確定条項 ・2つの追加条項 ・6つの予備条項 
から構成される。バーゼル平和条約を意識して書かれたものである。

🚩『永遠平和のために』~3つ確定条項~
[1] どの国の市民的な体制も、共和的
(※1)なものであること
[2] 国際法は、自由
(※2)な国家の連合に基礎をおくべきこと
[3] 世界市民法
(※3)は、普遍的な歓待(※4)の条件に制限されるべきこと
―――
それぞれ、国内的な政治体制の水準([1])、国際法の水準([2])、世界市民法の水準([3]) をうたったものであり、「戦争が起こりにくくなるために必要な3つの条件」を表す。

※1 「社会のすべてのメンバーが共通の法に従っている」政治体制
※2 「自分達が従う法は自分達で決めることができる」ということ
※3 「国家を超えた交流による法・権利の侵害からすべての人を守る理念」
※4 「(他国の土地に足を踏み入れても) 敵として扱われない権利」のこと

🚩『永遠平和のために』~2つ追加条項~
[1] 永遠平和の保証について
[2] 永遠平和のための秘密条項

🚩『永遠平和のために』~6つ予備条項~

[1] 将来の戦争の原因を生む含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない。
[2] 独立して存在している国は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有とされてはならない。
[3] 常備軍(※)はいずれも全廃すべきである。
[4] 国家は対外的な紛争を理由に、国債を発行してはならない。
[5] いかなる国も他国の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。
[6] いかなる国家も他の国との戦争において、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を利用すること、降伏条約を破棄すること、戦争の相手国での暴動を扇動することなどである。
―――
※「常備軍」とは「(絶対王政下における)傭兵による常備軍」を刺し、「自衛のため防衛軍」とは異なる

―――

なお、今回の哲学勉強会の参考書籍は以下の1冊。参考までに紹介する。

《上記書籍に関する参考メモ ( ..)φ》
本noteの「3.更に一歩踏み込む中で感じたこと」については、この書籍を通じて理解を深めながら記載した内容である。

2.哲学勉強会を通じて感じたこと

カントの『永遠平和のために』は「国への提言」を含んでいるものである一方、前回勉強会テーマであった "同じくカントの『純粋理性批判』" では、「人の認知」に触れていること受けて、哲学の幅広さを改めて感じた。

『永遠平和のために』からは、哲学者の内に籠った様な "思想" ではなく、「世の中を良くしていこう」という意思が感じられると共に、「他者へ影響を与えていこう」とする想いを感じる "外に開かれた指針" に近い内容であり、素直に「こういう哲学書もあるのか」と思う次第であった。

~メモ:『永遠平和のために』歴史的背景 (抜粋) ~
この本が出版されたのは1795年です。カントが71歳のときでした。(中略)
カントに『永遠平和のために』を書かせる直接の動機となったものに、1795年4月にフランスとプロイセンのあいだで交わされた「バーゼル平和条約」があります。 (中略) こうした一時的な講和に対する不信感が、カントを『永遠平和のために』の発表へむかわせたのです。

100de名著 カント 永遠平和のために (著者:津田塾大学総合政策学部 教授・学部長 萱野 稔人氏)

自分自身が『哲学』という分野に抱いていた1つの先入観を取り払うことが出来た ことが、今回の勉強会の大きな収穫であったと思う。

3.一歩だけ踏み込む中で感じたこと

ここでは、勉強会後に自身で改めて関連書籍に触れながら、日々のマネジメントにも通ずる観点で印象に残ったポイントを2点紹介する。

勉強会への参加動機は、"いちチームのマネジメント" を担う中で 『自分の中にもっと芯の様なものを培う必要性』を感じたことである点を踏まえ。

①「人間性とは邪悪なものである」ことを"前提"とする

『永遠平和のために』では、「戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。」という言葉に代表される様に、"人には悪が内在している" ということを "前提" として展開されている点が印象的であった。

人の持つ【負の側面】を軸足を置いて「希望的観測」の介入させない形で論じることによって、理想論ではなく (素人が触れても) 納得感の高い内容になっている様に感じる次第であった。

~ 印象に残った理由 ( ..)φ ~
日々のマネジメントにおいては、人の持つ【正の側面】に「期待感」を持ってチームメンバーと接するが、コミュニケーションの形としては「期待感」を持って接することを大切にしながらも、

マネジメントにおける施策そのものは「 (メンバーが) 楽に流れるかもしれない」「 (メンバーが) 見落とすかもしれない」、、など【負の側面】を軸足として検討することで、「希望的観測」に依存せず、第3者から見た時により納得感の高いチームマネジメントが出来るのかもしれない。

②「自然状態とは戦争状態である」ことを"前提"とする

上述の前提にも通じるところがあるが『永遠平和のために』では、「自然状態(※)とは"戦争状態"であり、"平和状態"は新たに創出するべきものである」という観点を前提としていた。日常生活から感じる肌感と比較すると、初見では違和感があったのだが、「法の下での統治による強制のために (従来の自然状態は) 覆い隠されている」という主張と合わせて触れることによって、印象に残る次第であった。

※ここでの自然状態とは「法による統治がいまだ確立していない状態」、「国家もなければ、法を執行する機関もない社会状態」のこと

~ 印象に残った理由 ( ..)φ ~
日々のマネジメントでは、”理想(As is)” と "現実(To be)" を比較することで "問題(Gap)" を抽出し、"課題(Action)"  を設定していくが、今の自分達が持っている「常識」は "すでにもたらされている何か" によって生じている可能性があること を認識する必要があると思う次第であった。

「そもそも、何もなかった場合にどの方向に向かうのか?」ということについて意識を向け、それを適切に認識することが、より確からしい "課題(Action)" の設定に向けて必要であると考えさせられた。

( 参考:https://ruimaeda.com/asis-tobe/ )

4.そして余談や雑感など

気付きや学びという程まではまだ咀嚼途上ではあるが、『永遠平和のために』に触れる中で「ふと頭に思い浮かんだこと」を2点紹介する。

《余談①:組織(企業)における "自然状態" とは?》

このnoteを書く中で『組織(企業)における自然状態とは何なのか?』という問いが改めて浮かんできた。この問いについてはまだ咀嚼中であるが、例えばここでは 別書籍(後述) から得た着眼点を残しておきたいと思う。


🔖「日本の電機産業はなぜ凋落したのか (著者:桂 幹 著 / 2023年2月)」
この書籍では、日本の電機産業がこれまでの30年間に渡って、犯してきた罪が紹介されていた。具体的には以下の5つの罪である。
 ・誤認の罪 ・慢心の罪 ・困窮の罪 ・半端の罪 ・欠落の罪


詳細は割愛するが、今回の『永遠平和のために』で得た "自然状態" という観点に習うのであれば、”組織(企業)”における自然状態について、以下の捉え方をしてみるのも、一視点として面白いのではないかと考える次第であった。

ーーー
組織(※) とは元より「本質を”誤認”し、成功体験に”慢心”し、間違った選択と集中で”困窮”し、課題に対する改革も”半端”で、明確なビジョンが”欠落”している。」という状態が自然状態である ※日本の電機メーカー
ーーー

《余談②:組織(企業)における "確定条項" とは?》

『永遠平和のために』にて紹介された "確定条項" を、例えば組織(企業)風に読み換えてみると以下の様になるのではないかと、推察する次第であった。

🚩『永遠平和のために』~3つ確定条項~ (再掲載✄)
[1] どの国の市民的な体制も、共和的
(※1)なものであること
[2] 国際法は、自由
(※2)な国家の連合に基礎をおくべきこと
[3] 世界市民法
(※3)は、普遍的な歓待(※4)の条件に制限されるべきこと
―――
それぞれ、国内的な政治体制の水準([1])、国際法の水準([2])、世界市民法の水準([3]) をうたったものであり、「戦争が起こりにくくなるために必要な3つの条件」を表す。

※1 「社会のすべてのメンバーが共通の法に従っている」政治体制
※2 「自分達が従う法は自分達で決めることができる」ということ
※3 「国家を超えた交流による法・権利の侵害からすべての人を守る理念」
※4 「(他国の土地に足を踏み入れても) 敵として扱われない権利」のこと


🌟『 (組織における) 永遠平和のために』~3つ確定条項~
[1] どの個人の多面性の自己管理も、共和的
(※1)なものであること
[2] 組織ルールは、自由
(※2)な個人の連携に基礎をおくべきこと
[3] 組織風土
(※3)は、普遍的な歓待(※4)の条件に制限されるべきこと
―――
カント提唱の確定条項に関して、"国"を"個人(メンバー)"と読み換え、"世界"を"組織(チーム)"と読み換えることで、各個人な自己管理の水準([1])、組織ルールの水準([2])、組織風土の水準([3]) をうたったものとし、「組織における個人間の衝突が起こりにくくなるために必要な3つの条件」を表す。

※1 「各個人のすべての多面性が共通の自己管理に従っている」状態
※2 「自分達が従う自己管理は自分達で決めることができる」ということ
※3 「各個人の交流による自己意識の侵害からすべての多面性を守る理念」
※4 「(他人の意見に足を踏み入れても) 敵として扱われない権利」のこと


あくまで、筆者の現状理解に基づくものではあるが、実際に書いてみて "組織運営における1つの視点" としてまんざらでもない様に感じた。

5.全体を振り返って

『永遠平和のために』は「 "国" への提言」という意味合いが強い内容である様に感じたが、内容としては「人間の集まりが持続的に存在していくための要件」とも解釈できる様に感じる次第であった。

この "国" を "個人" と読み換えることによって、マネジメントの観点でヒントにとなる要素が多分に含まれている 哲学書である様に感じたので、既存のマネジメント関連書籍と併読しながら、少しずつ理解を深めていきたい。

なお、『永遠平和のために』の後に執筆された著作が『人倫の形而上学』という書籍。『純粋理性批判』や『実践理性批判』などの諸著作を経て結実したものらしいので、もう少し段階を踏んでチャレンジ出来たらと思う。

(参考)本noteに関連する情報


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