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#28本心を隠していたら書く意味がない

今日から7月ですね。四半期の節目に投稿を振りかえってみると、4月0記事、5月は1記事6月に7記事投稿していました。

7月は1000文字程度、1週間に3投稿のペース(12記事以上で達成💮)を目指して書いてみます。


本心を隠していたら書く意味がない

しばしば投稿が滞る理由について。習慣化の怠慢だけを言い訳にしてやり過ごしたいのですが、それでは発信している意味がないので向き合ってみました。

どこまでnoteで開示できるかは書きながら考えていきたいですが、時々記事でも触れている「ワンオペ家事・育児」について、負担を見直してほしい私と、まったく聞く耳を持たない夫、この関係性がかなり精神的にキツくなってきてしまいました。

いちばんリソースを割いて考えていることに対して、プライベートなことだからここで書いてはいけないと制限をかけてしまい、発信力(言語化力)をつけたいから書きたい、でも気持ちに蓋をしたままで上手く書けないというジレンマ。

noteに書く必要があるかはわからないし、単なる愚痴のように受け取られてしまう記事には絶対にしたくない。けれど、文章力がないために本意からそれてしまうのではないかという自信のなさもありました。

でもnoteという匿名で参加している場所でさえ本音を書けないのなら、文章を投稿する意味がそもそもないのでは?と、
どのような経験であれ実体験を通して感じたことを書いてみたくなりました。

顕在化された色眼鏡

これまでもワンオペをネタに記事を書いたことがありますが、
最近は家事・育児協働を提案しても、全く聞き耳を持ってもらえないどころか、また同じ話か、と話し合い自体をスルーされることがかなり常態化していました。

そんな中で、先日の木下斉さんのVoicy放送で「少子化対策の誤った側面として地方で子育てをしている女性の扱われ方がひどい」というお話を聞いて、ハッとしました。夫は「母親」という役割を担うようになった私(個人)のことをクソジジイ眼鏡をかけてみているのではないかと思ったのです。

彼氏=彼女 (平等)
夫=妻 (平等)

夫>妻+子供 (不平等)
仕事>家庭

出産前はここまでこちらに任せきりにするようなことはなかったのですが、
「仕事だからしかたない。」
という理由ですべてのことを片付けてしまえるようになったのは、クソジジイ化による甘えと、「良妻賢母」の妄信と引き換えに現実への無理解が根底にあるのではないかと思いました。


今後のはなし

正直なところ、話し合いを避けて現状維持を貫く姿勢に信用残高がみるみる目減りしていっています。この状況が続くのであれば、それぞれ別の道を歩む方がいいのではないか?という問いも、時間とともに深くなってきています。

一方で、自分もクソババア眼鏡をかけて世界をみているのかもしれないと怖くなったりします。改めるべきところは自分にもあります。ただ、思考停止して短絡的な答えに飛びつくようなことはせずに、相手と家族にとっての幸せを考えて決断していこうと思います。

今日の記事を最後まで読んでくださりありがとうございました!


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