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書くことと踊ること、腰痛と妖怪など雑多な話

変な自慢ですが、締め切りに間に合わない! と思うともれなく腰痛になります。原稿が上がると同時にきれいさっぱり治ります。
インタビューをまとめる仕事で、どの話題を先にすればわかりやすいか迷っている時とか、簡潔にまとめるには何かご本人の発言になかった端的な言葉を補わなきゃならない、けどご本人の考えとぴったり合っていそうな言葉を思いつかない時とか。前に進んでない、間に合わない、空回り、きゃーー!! となると血流が滞って痛くなるようです。
そういうときは、頭にも血が上っていて、脳の表面ばっかり使っちゃってる感じで、たぶん体によくないと思います。
おそらく、体幹を使えていない。

6月26日、グランドオープンしたばかりのダンスハウス、DaBY(Dance Base Yokohama、デイビー)で、平原慎太郎さん振付『えんえん』という作品のトライアウト(試演)を見ました。
https://dancebase.yokohama/

上田秋成の『雨月物語』より「青頭巾」を題材にした作品で。身体を使った、すごく文学的な作品でびっくりしました。テキストもあって、しゃべりながら踊る。いちおう段取りは決まっているけれど、アドリブが多くてスリリングでした。「青頭巾」は、山寺の住職が愛していた稚児を病で失い、悲しみのあまり食べちゃって鬼と化している、というお話。この住職を本心に立ち返らせるために、高徳の僧快庵が寺を訪れるのですが……。

「面白い話してあげよっか」という軽い雑談のノリで、ダンサーたちが「青頭巾」の話を始めます。彼らはいつの間にか、身体と言葉を駆使して快庵になり村人になり住職になり、背骨をきゅーっと湾曲させて死んだ稚児や住職にとりついた「呪い」になったりします。かと思うとぱっと空気を替えて、「面白い話」に興じているふつうの現代人に戻ったり。

『雨月物語』の序では、作り話を真実のように語ることの罪深さが語られ、紫式部も地獄に落ちたことになっているそうです(知らなかった!)。現代でも、ネット上でまことしやかに語られた話が人を傷つけることがある。「物語ることの罪」がテーマのひとつだと、平原さんたちがネタばらしをしてくれました。作品の完成は秋になるそうですが、まさに自分の仕事に関わるテーマで、とても興味をひかれました。

それと、踊りのプロである彼らの言葉が、濃密で面白く、エネルギッシュであることがなんだか悔しく。「書く」ことしかできない自分の仕事ってなんだろうと考えました。

踊るように、歌うように、体幹を使って書くことができたら。
今、少し体幹を使っていると感じる瞬間はあるような気がします。
詩や俳句・短歌はもともと歌やダンスに近い気がするけれど、ぴちぴちと踊っているみたいなエッセイや、知性が生き生きと跳ねているような論文もあるように思います。
良い修行法があったらどなたか教えてくださいませ!!

急に思いついたこと)
身の回りに「暗いところ」を作っておくと、そこに妖怪がすみついてくれる。妖怪たちは、本当に困ったときは助けてくれる、というようなことを水木しげる先生がおっしゃっていた。
体の中に「闇」をもとう、その闇を神棚みたいに大切にしてみようと思ったら、少し体の芯が落ち着く感じがした。

それと、腰にもいいはずなのでとりあえず体幹トレーニングは続けよう。

写真は、あんまり内容と関係ないけど近所にある樹齢約800年の欅(青渭神社)。

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