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「うす暗いところ」をつくっておくと、「お化け」がすみついてくれる

今回のマガジン「アラフィフゆるフリー女子」のテーマは「目に見えないものとのつきあい方」。スピアレルギーや見える人のことや数少ない体験、織り交ぜて考えてみました。

スピアレルギーの主張

 いわゆる「スピリチュアル」なものに拒否反応を示す人は多い。長年の男友達であるT氏も、一昨年亡くなった父もそうだった。「占いって予言なの? 予言でなく、単に進む方向に迷って誰かに背中を押してもらいたいだけなら、なぜ(おもに女子は)わざわざ占い師に相談するのか?」と、T氏がぎゅうぎゅう私に迫ったことがある。私がまるで「スピ」の代表ででもあるみたいに。たしかに、私はスピリチュアルな話題は嫌いではないが「スピ」とは言われたくない。正確にいえば、目に見えないものの存在は信じているし、興味もあるが「スピリチュアル」「スピ」でくくられるものには抵抗感を覚えることも多い。その差は何なのだろう?
 日本で「スピリチュアル」という言葉がポピュラーになったきっかけの一つが、2005年に深夜枠で始まったTV番組「オーラの泉」だろう。江原啓介さんや美輪明宏さんが、あなたの前世はこうだった、今守護霊様がこう言っているとか告げると、ゲストのタレントが泣き出したりする、というあの番組の雰囲気には何か気持ち悪さも感じつつ、まあそんなこともあるかもしれないなと思い、ときたま吸い寄せられるように見ていた。実家で夕飯を食べた後、「オーラの泉」が始まったので何となくそのまま見ていたら父が「こんなものをゴールデンタイムに放送するなんて問題だ」と吐き出すように言ったことがあった。「オーラ」がゴールデンタイムに放送されていたのは2007年~2009年と、もうずいぶん前のことになる。
 科学で説明がつかない「スピリチュアル」な話は、誰もが同じ立場で論じられない。批判しづらい。だから何か言い当てられた人が「見える」人に帰依してしまう、べったりした依存関係が生まれがちだ。そこがいかがわしいし気持ち悪い。批評精神ゼロ、思考停止。T氏や父の主張はそういうことだと思うし、そこは賛成だ。
 ただし、いわゆる「見える」人というのは私の友人や知人の中にもけっこういる。その人たちを信頼し、もっと話を聞きたいと思うのは「目に見えないもの」との距離の取り方がとても繊細で丁寧だから。彼らは誰にでもそういう話はしないし、「目に見えないものなんか存在しない」という価値観も否定しない。たぶん、彼らはそういう距離の取り方を身につけるまでにいろいろ苦労があっただろうなと想像する。私は、そのへんが雑に感じる人とは、あんまり友達づきあいはしたくない。押しつけは論外だし「こういう話好きでしょ? あなたもスピでしょ?」みたいな馴れ馴れしさを感じた瞬間、それ以上近寄らない。

 尚、T氏の「なぜ女子は占いが好きか」という詰問に対する私の答えは「占いには遊びの面がある。カウンセリングのプロに頼んだりするより、そこそこ参考にしとこう、という気軽さがあるからいいんじゃないかな」というのと、「その人の体を一目見て、どこが悪いか言い当てる名医がいるように、その人が何に困っているか言葉にしなくてもわかってしまうような、第六感が優れた人はたしかにいるんじゃないかな。ま、何にせよ依存はよくないと思うけど」のふたつだった。彼がつっかかってきた理由はよくわからないが、別に私も占いの正当性や必然性を擁護すべき立場にないから、その話題はそこで打ち切った。

「行ってくる」占いのはなし

 実は30代前半の頃(思えば「オーラの泉」の放送開始と同時期かもしれない)、雑誌の広告記事の仕事で何人かの占い師さんに電話取材をしたことがある。たいてい「あなたの相談をしてください」と言われたので「一昨年前に事情があって別れた彼氏とやり直したい」という同じ話をした。そして、実際の「事情」を学生同士のちょっとしたケンカにしたり不倫にしたりとシチュエーションを変え、それに合わせて占い師さんのアドバイスも多少アレンジして、3,4本の記事をでっち上げた(広告記事ってそんなもんです)。
 誰にでも多かれ少なかれ当てはまる親身なアドバイスをすれば「当たってる」と思わせられるーーというのは、私もライター業ゆえよくわかっているのだが、まったく話していない具体的なことを言い当てる占い師さんも多かった。中でもびっくりしたのはY先生だった。最初は「彼はさっきバイトから帰ってきたところですごく眠そうだ」などと言われ、半信半疑で聞いてていたが、不意に彼女は「ちょっと行ってくる!」と言ったかと思うと、途切れ途切れに話し始めた。
 俺は、ボタンの穴を掛け違って、何度も留め直しているうちに、穴が広がっちゃって留まらなくなったみたいな、そんな人間なんだよ。もう放っておいてくれよ。
 まるっきり彼の口調だったし、落ち込んだとき、そういう比喩をいかにもしそうな人だった。Y先生はすぱっと「戻って」きて、めちゃくちゃ疲れてて眠そうだったよとふつうに語った。本当に彼のところに「行ってきた」としか思えなかった。当時の日記をひっくり返してみたら、私はボタンが留まらないならその穴に花でも挿して歩けばいいじゃないかとか泣きながら書き殴っている。いろいろな意味で無神経だし若かったと思う。
 その彼と再び会うことはできなかったが、Y先生にはとても良いアドバイスをもらえたので、私はあと2回、お金を払って相談している。鑑定料は20分3000円だったが結局2回とも1時間近くしゃべってしまっていた。Y先生は四国の大学で心理学を教えているという方で、人間観察のために一日数時間駅のキオスクでアルバイトもしていると言っていた。3回目の相談の時は、Y先生がかなり長く自分について語った。相当悩み多き人のような気がした。次に電話をしたときは、体を壊されたとかで、その占い会社は止めていた。
 そんなこんなで、見えないものが「見える」人はたしかにいると私は思う。でも、見えない世界とのつきあいには様々な危険が伴うらしい。私は怖がりなので、正直見えなくてよかったと思っている。 

木霊? と夜神楽のはなし

 見えてはいないのだけれど、一度だけなんだかよくわからないものの気配を感じたことがある。気のせいといわれれば気のせいのレベルだが、ちょっとここに書いておきたい。
 2005年の1月末、夜神楽を見たくて、一人で高千穂に行った。高千穂では毎年11月中旬から2月上旬にかけて、各集落で夜を徹して神楽が舞われる。その年は黒仁田という集落の夜神楽に合わせて前日に空路で福岡に入り、延岡から高千穂鉄道に乗った。渓流を縫ってどこまでも続く細い線路は、ときどき転げ落ちそうな気がして心細かった(高千穂鉄道はこの年9月の台風で運行休止となり、2008年には全線廃止となっているから、これも今思えば貴重な体験だった)。一人なので、天岩戸駅の近くにあるユースホステルに泊まった。その日のお客は、私のほかにはライダーらしい青年が一人だけだった。たしかユースの管理人の女性が親切で、夜、近くの新しい温泉施設に連れていってくれたと思う。あとはすることもないので、早めに寝た。外は真っ暗でいかにも山の中へ来た感じがした。それでも、熊本につながる国道218号線が近くを走っていたので、かすかに車の音がしていた。
 夜中、理由なく目が覚めた。部屋のすみのほうに、ぽこぽこぽこっと二十体くらい、膝の高さくらいの、何か丸っこいものがいてじっとこちらをうかがっている気がした。といっても部屋は真っ暗だから何か見えたわけではなく、そういう感じがしただけだ。別に悪意も何もなくて、ただ見られている感じ。なんかよそから来たよ、なんなの? みたいな感じだ。でもすごく怖かった。東京から来ました坂口と申します、ただこちらに興味があって来ました、それだけです、ありがとうございます!みたいなことを心の中で必死で叫んでいた。神社にお参りしたらまず名を名乗れとどこかで読んだので。そのよくわからないものがどう反応したかはわからないが、とにかく怖かったので布団をかぶって寝た。
 何時間か経って、今度は純粋にトイレに行きたくて目が覚めた。そのわからないものがまだ三、四体はいる気がしたけれど、気配はずっと薄らいでいた。廊下には電気がついていたので、ふつうにトイレに行って戻ってきて、部屋の隅に向かって失礼しますだかおやすみなさいだか、とにかく挨拶して、寝た。
 朝、ユースの管理人さんがインスタントコーヒーをいれてくれた。ライダー男子は早朝に発ったらしい。窓の外に大きな椿の木があった。葉やつぼみのまるい印象が、何となく昨夜見たものと関係があるような気がした。管理人さんに、ここ夜は怖くないですかと聞いてみた。管理人さんは、ずっとここにいるから、慣れちゃってそんなことはないわねえと笑った。

 その日の夜神楽も素晴らしかった。私がお邪魔した黒仁田地区の夜神楽は公民館で行われるのだが、日暮れ前に、まずお面(おもてさま)が納められている黒仁田神社にお迎えに行き、途中の弁財天神社でも舞が奉納される。山道を、白い袖を翻し、面をつけた神々が移動していく様子はとても見応えがあった。公民館の広間に「神庭」がしつらえられ、集落の方々がここでかわるがわる様々な神様になって夜を徹して舞い、笛や太鼓を奏でる。ときにうつらうつらしながら見続ける。舞手(ほしゃどん)は男性で年輩者も子供もいたが、その中に舞も笛も上手で、とても美しい少年がいた。途中、鬼の面をつけた彼が突風のように飛び込んできて、何もかもかき乱して去っていく「入鬼神(いりきじん)」という一番があった。後に私はいろんな人に「君は熊川哲也か」と思ったよと語ったのだけれど、何かにとりつかれたかのような高い跳躍だった。
 夜明け。薄明かりの中で公民館の正面の窓が開け放たれ、庭にまつられた注連縄と神庭をつなげて「神送り」が行われる。天照大神のお面をつけた小さな子供が、天狗のような面をつけた手力雄神役の男性に手をひかれてよちよちと出てくる。フィナーレは「雲下ろし」。神庭の上に飾られていた和紙の天蓋「雲」がおろされ、中から色とりどりの紙吹雪が舞い落ちる中を、神々がぐるぐると舞い踊る。朝日が射してくる。本物の神さまが五色の雲に巻かれて踊っているかのようで、とてもめでたい。
 その日感じたのは「ひどく懐かしい気がするのに、全然知らない」ということだった。自分の体がこういう感覚と全く切れてしまっているということがショックで、知恵熱が出そうだった。熊本空港経由で帰れば東京まではあっという間だった。

 尚、前の晩に見たような気がしたよくわからないものは、『もののけ姫』に出てくる木霊ではないかと、後に先輩ライターのお姉さんが教えてくれた。宮崎駿監督は、何かそういうものに会ったことがあるらしい。
 水木しげる先生は、何かのインタビューで「お化けはうす暗いところ、『昔』のあるところにいる。そういうところをつくっておくとすみついてくれる」と語っていた。「お化け」だか神さまだかわからない何かにまた会いたい気はするが、あまりガツガツ期待したら会えない気もする。

 考えてみると、私が好きな「見える」人というのは、心の中に「うす暗いところ」や「昔」をもっていて、それを無闇に人目にさらさず、大切にしている人たちだと思う。

高千穂の鉄橋


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