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怪獣映画と名画座

物心ついたときには怪獣が好きだった。
ウルトラマンシリーズの怪獣図鑑に載ってる怪獣は全て暗記していたし、オリジナルの怪獣を作って図鑑を作ったりしていた。
はじめて見たゴジラ作品はもう覚えていないが、確かあの頃はレンタルビデオ店が近くにあって、親に連れて行かれてウルトラマンのビデオを借りてよく見ていた。
ウルトラマンのビデオコーナーのすぐ隣には特撮繋がりでゴジラ作品がずらりと並んでいた。
当時は平成ゴジラ全盛期の時代だった。
今となっては考えられないが毎年のようにゴジラ作品が上映され、金曜ロードショーでも度々ゴジラ作品が流れていた。
「ゴジラVSメカゴジラ」や「ゴジラVSスペースゴジラ」などの平成ゴジラはおそらくビデオ録画で擦り切れるまで見ていたと思う。
今考えてみると「ゴジラVSキングギドラ」はどう見ても「ターミネーター」のパクりだし、「ゴジラVSモスラ」は「インディジョーンズ」のパクりだった。「ゴジラVSスペースゴジラ」に至っては当時流行りの安っぽいトレンディドラマみたいだった。
それでも怪獣が出ていればそれで良かったのか、幼い自分は夢中になった。

映画館の話に戻るが、多分幼い頃はじめて映画館で見た映画は「ゴジラVSデストロイア」だった。
小さな子供がはじめて見る映画が「ドラえもん」でも「アンパンマン」でもなく「ゴジラ」なのは今考えるとどうかと思うが、当時はゴジラは子供にも人気の存在だったのだ。
ブラウン管の小さな画面でしか見たことのなかったゴジラがスクリーンで見れる、これだけで当時は夢のような体験だった。 
シネコンなんてものは当時の田舎には無く、スクリーンが2つしかない小さな名画座で、路上に面した受付でチケットを買ったのを覚えている。

だがチケットを買った時にはすでに席が埋まっておりパイプ椅子を出している状況だった。しかしパイプ椅子にすら座ることができず映画館の後ろの方で立見を余儀なくされた。全く画面が見えず、結局父に肩車をしてもらったが、よくよく考えると2時間近く映画を見ながら肩車をし続けた父が気の毒でならない。
そんなやっとの思いで見ることができたゴジラ。大画面と大音量にひたすら圧倒されたのを覚えている。

だが、知っての通り「ゴジラVSデストロイア」は平成ゴジラシリーズ最終作であり、この作品をもって文字通りゴジラは死ぬことになる。
実は映画のポスターには「ゴジラ、死す」という最大級のネタバレキャッチコピーが書かれていたのだが、まさか本当に死ぬとは思っておらず、映画を見終わったあとには初めての映画という感動と、大好きなゴジラが死んでしまったというショックで情緒がぐちゃぐちゃになっていた。
しばらくはその思い出に浸っていたのだが、子供は切り替えも早くすぐに別の対象に興味がうつることになる。
ガメラである。

当時は平成ゴジラのヒットに影響を受けた大映がガメラをリブートして売り出したため、一時期はゴジラとガメラが映画館で覇権をかけて争っているという大変贅沢な時代だった。
それ以外にも「平成モスラシリーズ」なんかもあったりして怪獣映画界隈は大盛り上がりだった。

「ゴジラVSデストロイア」の翌年に公開された「ガメラ2 レギオン襲来」は凄まじい映画で、大変大きな衝撃を受けた。
例によって父と立ち見での鑑賞だったが、とにかく大画面で見るレギオンは怖かった。中でも地下鉄での軍体レギオン襲来シーンは子供ながらに大変なトラウマを植え付けられ、しばらく夢に出た。

平成ガメラシリーズ3作目「ガメラ3 イリス覚醒」はそれまでの怪獣映画とは少し違った。
この映画は最強の怪獣であるイリスを倒してめでたしかと思いきや、その後大量のギャオスが襲来しそれに立ち向かっていくガメラ、という所謂「俺たちの戦いはこれからだ」エンドで唐突に幕を閉じる。
この映画もこれまでと同じく父と一緒に見に行ったのだが、今まではどんな映画であっても最後は大変満足していたのだが、このガメラ3に関しては全く結末に納得がいかず、これで終わりなハズがない、続きがあるはずだと駄々をこね、父を困らせた。

それから年を重ね、いつしか父と映画を見ることもなくなり、いつ間にかその小さな映画館も潰れてしまった。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でもまだ自分は怪獣映画を見ている。怪獣がハリウッドでリメイクされIMAXなどの大画面で見れるようになるとは昔は想像もしていなかったが、今でもたまにその小さな映画館のことを思い出す。

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