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【節分の日】1つ先のおもしろさに変身させるのは〇〇○にしないことだった。

 2月3日は節分です。多くの園では豆まきをしたり、鬼のお面を作ったりしたのではないでしょうか?
 テレビを見ていたら、“若者の豆まき離れが進行している“というニュースをTHE TIMEで見ました。このようなニュースを見ると、私たち保育者の役割はやはり大切なんだなぁと思います。保育者って実は伝統や行事を語り継いでいく存在なんですよね。
 
 そんな節分ですが、以前面白い取り組みをしたので、今日はそちらをご紹介します。

鬼の仲間と思われちゃうよ

 そもそも“なぜ対峙しなくてはならない鬼のお面をわざわざ被って豆まきをするんんだろうか?“と、私はずっと思っていました。それが慣例だから?その慣例とやらに乗っかっていた時期もありましたが、節分の日のためだけに準備している感じも“保育の連続性“で言えばちょっと疑問で、何かおもしろい方法はないかな?と思っていました。
 そんな時、当時担当していた年中の男の子の1人(Aくん)が「鬼のお面被ったら鬼と間違えられちゃうじゃん」と言っていたのを私は聞き逃しませんでした。

 “だよね!!“と。

その日の帰りに子どもたちとAくんの発言の話をしました。すると、子どもたちは、

「確かに間違えられるのはイヤかも…」
「仲間だと思って連れて行かれないかな?」

とそれぞれの思いを話し始めたところで、私は次の仕掛けを用意しました。

果たし状

 「みんな、ここに何かあるよ?」

翌日、保育室には見慣れない巻物のようなものがありました。中を見てみると、それは鬼からの手紙でした。保育者があえて用意したものです。

「え!?やっぱり来るの?」と怯える子もいれば、
「うっしゃぁ、やっつけてやる!」と気合いを入れる子と反応は様々でした。

「どうやら2月3日に保育園に鬼は来るらしい。どうする?」
「作戦を考えよう!!」と切り出した子どもたち。

2月3日を1ヶ月後に控えたこの日、“鬼討伐対策会議“が開かれ、作戦遂行のための準備が始まったのです。

驚かされっぱなしの展開

 その会議では沢山のことが決まりました。

お面は自分の顔がバレないようにするために作ろう。あとは、これなら勇気が出るというお面にしよう。

入り口に鬼除けを貼ろう。
 →「あ、図鑑で見たかも!」とBくん。みんなで確認すると、「トゲトゲした葉っぱが付いた枝に、イワシの頭を刺しておくんだって」ということで、廃材を使って“ひいらぎいわし“を作る。

鬼が入ってくる場所を考えよう。
 →「鍵閉めておけばいいんじゃない?」「でも金棒で壊されたらどうする?(私が意地悪を言う。笑)」「そしたら俺たちが囮になるから、その隙に後ろから攻撃して!」

鬼に見えない場所に隠れよう
 →「後ろに回り込むまで隠れている場所を作らないと」「大きいブロックで壁作ろうよ」「いや、私たちはダンボールで作りたいな」

これらの発言、全て子どもたちの発言です。本当に驚きました。私の誘導も多少ありましたが、おおむね作戦の方向性が決まったタイミングで、必要なものを作り始めました。

時間をかけて作り、シュミレーションもしました。怖がっている子もいましたが、「俺たちがいるから平気だよ」と支え合ってくれていました。

準備は整った。あとは鬼が来るのを待つだけ。

そして、2月3日の当日を迎えたのです。

幻の節分

 ですが、この年の節分行事は行われませんでした。当時、このタイミングで園ではコロナが蔓延してしまい、閉園となったのです。その後、登園可能にはなったのですが、子どもたちが密集する活動は禁止となり、節分行事は中止になりました。これには子どもたちはもちろん、私も残念でした。

 この日を迎えるまでの子どもたちの情熱は凄まじいものでした。この不完全燃焼な気持ちは、必ず来年に果たせるように…ということで、彼らが考えたこと、作ったものを動画・画像・実物で残し、翌年の節分で全て発散したわけですが。

 私の肌感で言えば、年中のタイミングでのあの盛り上がりは年長時のそれに敵わないと思います。今、このように文字に起こしてみても当時の様子が思い出せますし、私自身も子どもたちと一緒にかなり盛り上がったんだと思います。

 あの子たちは今年はどんな節分をしているのかな〜?

一過性にしない

 というわけで、過去に私が節分の日に向けて盛り上がった保育を、エピソードを交えてご紹介しました。
 
 節分行事をさらに盛り上げる方法、それは“一過性の行事にしない“と言うことです。行事の度合いで言えば、運動会や発表会に比べて、やや見劣りする行事かもしれませんが、子どもたちの発言にきちんと耳を傾けていたことで、私は次の仕掛けを準備することができ、先のような発言が子どもたちから次々と生まれ、約1ヶ月間の熱い期間にすることができました。
 もっと言えば私自身が節分行事の慣例化している状態に疑問を持てていたからこそ、子どもたちの発言を抵抗なく飲み込めたことがスタートラインだったと思います。
 
今回紹介したのは、あくまで私が行なった節分を一過性にしない方法です。一過性にしないと言うテーマであれば、その展開の方法は多様だと思います。
 
 ぜひ次の節分行事を考える際に、参考にしてみてください。

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