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【自由保育】って百聞は一見に如かずの“一見“を見捨ててないか?

 現在働いている園は自由保育が、提供している保育の根幹にあります。一方で、以前私が働いていた園では一斉保育が根幹にありました。どちらも経験していると、それぞれのメリット・デメリットがあるなぁと感じる場面があります。

 そんな折、子どもたちが過ごしている姿を見ていて、“あれ…?“と思うことがあったので、そのことについて書こうと思います。

選択肢がたくさんある状況

 私が担任している年長クラスの保育室には、常時4つのコーナーが展開されています。さらに、隣の年中クラスと行き来するのがOKなので、隣のクラスと合わせると、大体8つのコーナーを選び、その中でじっくりと遊べる環境となっています。
 一斉保育となると、もしかしたら遊びたくないおもちゃなどで遊ばないとならなくなっても逃げ場がない。けれど、あらゆるコーナーが設定してあれば、自分が好きな遊びを選べるので困らなくて済む。これは選択肢が多いことのメリットだと思います。この遊びの選択権はあくまで子どもにあるので、今も私は基本的に子どもたちの遊びの選択には関与していません。

 今日は私は折り紙遊びを自由にできるコーナーの近くにいながら、その部屋全体の遊びを見守っていたのですが、そこでふと思ったんですね。

“多分、折り紙に興味がない子はずっと来ないんだろうな“

これは選択肢がたくさんあるが故のデメリットであると思うんです。

百聞は一見に如かずの“一見“

 一斉保育の時は、例えば一斉に折り紙をみんなでやる時間がありました。全然折れなくて嫌なんだろうな〜と思われる子もいました。それはもしかしたら可哀想なことをしたのかもしれませんね。

 けれど彼らには共通して経験したことがあって、それは“目の前で折り進める姿を自分の目で見た“ということなんです。

“お山みたいに折るんだよ〜“という行為を、言葉だけでなく、目でも見たという経験。今、それがすごく大事なことだったよなと思っています。

 先の折り紙コーナーには、折り方の本や、折り方の手順が書いてあるカードがあります(しかも手作り)。折り紙をする子はその本やカードを見て、自分で折進めるわけですが、百聞は一見に如かずという言葉に照らし合わせるのであれば、“一見“という行動を蔑ろにしてしまっているような気がしたんです。(折り方を目で見てると言われたら“一見“なのかもしれませんが…)

教わった先にある面白さや楽しさ

 なんとなく一見には“教わる“というニュアンスがあるような気がしています。そして一斉保育では当然のように行なっていた子どもたちに伝える(教える)という行為が、自由保育になった途端に一気になくなる。(正確には子どもによって経験値に差が出る)まず知るという保育者主導の活動から、その後のまたやりたいorやりたくないの選択は子どもに委ねる流れもあっていいと思っています。

 今の自由保育の中で、方法を模索してみたいです。

追記:今日の様子

 上の文章は水曜日に書いておりました。そして本日(金曜日)も折り紙コーナーにいると、「先生、手裏剣折って〜」と1人の年中児が来ました。その子に目の前で折り方を見せながら、一緒に作業をすると要領を得たのか、自分で出来る箇所は自分でやろうとするようになってました。
 
 これ、子どもを目の前にして改めてやってみると、私は折り方の手順だけではなく、折り目の付け方や褒めるなど、色んな言葉を伝えていたことに気づきました。一見に如かず…やはりあなどれないですね。


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