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馬鹿みたいに愛は花持たせ

人に「貴方の願望は?」
と聞く事が最近増えたので
先日寝る前にゆっくり座って
天井の年輪を見ながら
「自分の願望ねぇ」
と思い馳せたのだけど

多分に小学生低学年の
「昆虫博士になりたい」
が最も
「誰の願いでもない」
「誰の為でもない」
「誰の関係性もない」

心の内から沸き起こる
純粋無垢な願望
に極限に近いもの
だったんじゃないかな、と。

「なんで昆虫博士だったんだっけ。
そもそもなんで昆虫とか生き物が
好きだったんだっけ」

と年輪が視界の端で歪むような
そんな感覚で割と目線を集中して
子供の頃の平日の夕暮れ
土日の昼、炎天下
触ると暑い自分の頭
さらさらの髪の毛

捕まえた生き物を眺めていた自分を
20年振りくらいに掘り起こして
そんな夜中
お湯が沸く音と
静かな時は聞こえる
家中の家電の微細な
電流の音で年輪がまた視界に入って
そっか、視界と、聴覚
触覚か、と。

多分小学2年生くらい
曖昧

信号機を律儀に守る車や人を見て
「なんでみんな
同じ赤だと思えてるんだろう
誰か一人でも、緑に見えたら
事故になるのに、なんで?
あ、事故する人、信号を無視する人
緑に見えてるのか、怖」

みたいな阿呆な内容で納得して
恐怖を感じていて
そもそも自分が見ている色と
他人が見ている色が
同じなのか怖くなって

その時期にたまたま読んだ本で
「ハチはこの世界を白黒で見ている」
と知って、昆虫の視界にどハマりした
気がする。

気がするだけかもしれないし
本当にそうだったかもしれないけど。

蟷螂の複眼の中の黒い点
蠰の複眼
彼らの視界を知りたかった気がする。

今思えば生き物の「目」が
小さい頃からずっと好きな事に
やっと気がついた

だから紋華青龍蝦かっこいいって
なってたんだろうし

未だに人の「目」を
無意識に見てしまうのかぁ、と思う

よくそれでトラブルにも
なるのだけど
睨んでる訳では無いのです。

それから同時期
当たり前に会話をする大人達を見て
音が目に見えないのに
成り立っている事と

「見えるものしか信じない」って
その当時言っている大人が居て
「声は目に見えないのに?」と
また勝手に1人で
怖くなっていた思い出。

そりゃ「デザインあ」
と「水銀奇譚」にハマるし

スピーカーの上に砂を置いて
馬鹿みたいに1人で
音の模様を見るのにもハマりますよ
そりゃあそうだよ。

これも思い出なのか
気がするのか
今となっては分からないけど
でもそれを言っていた大人は
誰か明確に分かるから
多分思い出。

生き物達はこの世界をどう見てるのか
音をどう感じているのか、とか
それがきっと知りたくて
生き物を観察して
遊んで、調べて
育てて、増えて、
生かして、殺して
動かなくなって
それを繰り返していて

大人になった今も
「昆虫博士」になりたい
とは思ってなくても
結局繰り返しているから
今はインコと熱帯魚が
居るのかもしれないなぁ、と

生きる為に生きている
純粋無垢な生き物達
だから「生き物」?

同様に感覚的に
他人に興味は無いけど
人間に興味があるのは
それかもしれない。

アルジャーノンに花束を
のチャーリイ
の気持ちがここ最近そんな風に
よく分かるなぁ、と
読んでて良かった。

27年分を復習するように
去年から自分自身について
を深く考察したり
思い返して分析するようになって

「今までは知らなかったから
理解出来なかったから
幸せだと感じていたもの」



「今までは見えなかったから
気が付けなかったから
感じる事がなかった幸せ」
を意識できるようになって

良い点も悪い点もあるのだけど
チャーリイはこんな気持ち
だったんだろうね。

いつかあなたも
そんな日が来るのでしょうか。

で、そんな状態でこの間
「アルジャーノン」を知って
聴いた時は
まあ、感動しますよね。

「花人局」の歌詞の意味に
気が付いた時
(なのか勝手にそう理解したのか)
とはまた違った感情。

でも個人的には「テレパス」が
今1番内臓の内側から心地好く感じる
言葉の並びと音。

結局は考え方が全てか。

「花人局」にあるように
いつか誰かの花を持つだろうし
いつか誰かに花を持たせるのだろうし

でも、まあ

「願わくばこの人の花を
持ちたくないなぁ」
と思える人が
自分の周りに居てくださることは

何よりも幸せだなと
そう、自分は考えている。

次会うのが
その人の花を持つ時
になりたくない人で
僕が花を持って欲しい、持たせたい人

会えるでしょうかねえ。

明ける、明ける。

そうね
馬鹿みたいに
愛は、花持たせ。

追記
質問があったので
恋愛の愛の話じゃないですよ。















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