論理ってエンタメに必要なのだろうか

 エンタメは感情を味わうものだが、感情には時として目的も意義も意味もなくしてしまう。それがあるのは、「動機」があるからというだけである。感情がエンタメ的に楽しまれる時、そこに求められているのは正しい手順やルールや常識ではなく、ただただ、納得できる動機と、それに従う共感性のある感情である。

 感情を味わうことが楽しい時、私達はそこにエンタメ性を感じる。しかし、なぜそうなのかは明確に説明できないことがほとんどだ。なぜなら感情とは、論理ではなく動機が司るものだからである。そして感情とは、言うまでもなく意志ある存在が抱くものだからである。
 即ちエンタメとは、その根源には生き物の抱く動機がなければならない。なぜその感情をその境遇の存在は抱くに至ったのか。その過程を含めた動機が共感を呼べば呼ぶほど、そのエンタメは感情を味方につける。
 感情に寄り添うことは、エンタメを面白くすることである。そのため、そこに他のものは求められない。寄り添うことは論理性を超越する。なぜなら寄り添うことで多くの不安は解消されるからだ。安心できるからだ。憂いなく、エンタメを楽しむことができる。
 むしろ、論理的に説明してしまうことは感情的な不安感を煽ることにすらなる。それ故に感情に寄り添うのなら、余計なことはされるべきではない。ただ、納得のいく動機がそこにあり、そして、その通りに感情が示されればいい。
 それが、感情を味わうエンタメとしての本質である。

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